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移植への決断

匿 名    (大阪・CML・バンクから移植)

 ナースとして10年働いて来た中で、様々な病気と闘っている人々やその家族、戦い半ばにして無念にも力尽きてしまわれた方、そしてその遺族の方と接してきました。その方々の中には、移植を受ける事ができたなら助かったであろう人もいます。しかし、自分がそのような立場となった時は移植治療の道は選ばないだろうと考えていました。移植を待つたくさんの患者さんがいる一方、最後の最後まで望みを捨てず、闘い生き抜こうとしている患者さんや、できうる限りのことをして助けたいと願う家族の方と何度も接する度、脳死が人の死であることを頭では理解していても、心から受け入れることはとても辛く、それなりの時間が必要であることを痛いほど感じていたからです。まさか自分にその決断を迫られる日がこんなに早くやって来ようとは夢にも思いませんでした。

 もちろん骨髄移植は、元気な人が自分の意志で、その善意と勇気をもって提供して下さるのだから脳死問題とは直接関係はありません。でも逆に今、元気でいる人を危険な目に遭わせてしまう。たとえ僅かな確率にせよドナーになったことで、その方や家族の人生を大きく狂わせてしまう可能性はあるのです。私は骨髄移植以外の治療を受け、それで急性転化したときは「その時が寿命だと思ってあきらめよう」と決めていました。
 そして、インターフェロン療法でコントロールしながら仕事も続けることができました。それから4年後、インターフェロンを最大耐量まで増やしても効かない状態となりました。
 インターフェロン大量使用による副作用は、薬の"使用上の注意"に挙げられている全ての副作用が最大に出ているのではないかと思うほど辛く、毎日「今日こそは倒れるかもしれない」と思いながら働いていました。気力だけで持ちこたえていたのでしょう。

 主治医から、「インターフェロンはこれ以上増やすことはできない。抗ガン剤と併用するか、骨髄移植しか無いでしょう。」と言われました。しかし、発症から4年経過し、その間インターフェロンを使い続け、年齢も取ってしまっています。かなりリスクが高い。化学療法のみで、あと何年かは生きることができるかもしれない。が、完治の望みは無い。移植を受ければ、何%かでも完治の可能性はあるが、命を縮めてしまう危険もある。それに何より、私は移植は受けないと決めていたではないか、すぐに、返事はできませんでした。

 骨髄バンクに登録だけでもしようと説得され幸運にも5名のドナーさんがみつかりました。そうなると周囲の人は皆移植を勧めます。最後は自分で決めるしかない。優柔不断な私は、1分毎に決意が反転する様な状態でした。そうしている問にも身体はどんどん衰弱して行き、立っていることすら辛くなっていきました。もうこれ以上インターフェロンは続けられない。現在の状態から救って欲しい。楽になリたい。いろんな事を考える力も尽きて行きました。

 そんな時、先輩ナースが働いている大学病院の無菌室を見学する機会がありました。そこで、20歳の女の子とテレビ電話で面会させていただきました。彼女に「一緒にがんばりましょう!気力ですよ。気力!」と逆に励まされてしまう。生まれて問もない赤ちゃん、まだまだお母さんに甘えていたい子供達、勉強にスポーツに遊びにとび跳ねている筈の青年達、みんな必死で生きようとがんばっています。私は生命の大切さをわかっていたつもりでいましたが、自分の生命すら大切に出来ないでいた自分を恥ずかしく思いました。
 そうして、私も骨髄移植を受け、生まれ変わりたいと思うようになっていきました。

 無事に骨髄移植を受け、社会復帰に向けコンディションを整えることができるようになった現在は、移植をうけて本当に良かったと思っています。
 もちろん、今後も慢性GVHDや感染症。そして考えたくはないが再発の危険だってあり、心から安心することはできません。でも、元気になること以上に、移植を受けることで、どれ程多くの、形のない贈り物を受けることができたか知れません。

 家族をはじめ、友人・医療スタッフの皆さんの心からのあたたかい思いやりに支えられ、今までの自分がいかに傲慢で自己中心的な人間であり、ナースであったかを思い知らされました。心身共にどん底の状況の中で、自分一人の力では何も出来ないこと、周囲の全てのものに支えられて生かされているのだと気付いた時に初めて目が覚めたのです。発病当時、移植を頑なに拒んでいた自分も、そんな徹慢で自分一人で生きている様な勘違いが根底にあったからかもしれません。心や体が強く、知識が豊富で、技術も優れていることよりも、人として、医療に携わる者として、何が一番大切であるかを学ぶことができました。そして、この世界のどこかに、私を救ってくれた、生命の絆で結ばれた誰かがいてくれること、これは私がこれから生きていくうえで永遠に心の支えとなることと思っています。


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