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移植後の子どもの誕生

浦 上 拓 也(兵庫・悪性リンパ腫・兄から移植)

 私は大学3年の春(平成5年4月、21歳)に悪性リンパ腫を発病し、平成6年6月に兄がドナーとなり、骨髄移植を受けました。当時の体験は、多くの骨髄移植経験者の方々が経験されたものと同じようなものですので、その点については他の方の体験記に譲りたいと思います。

 私は幸運にも他の患者さんとは違う経験をいたしましたので、そのことについて述べさせていただきます。みなさんご存じのように、骨髄移植を受ける前に、移植後の身体の変化について詳しい説明がなされます。その一つに、もう二度と子供を作れなくなるという、一番つらい告知があります。私も当時を振り返ってみると、この告知を受けた瞬間に頭を鈍器で殴られたような衝撃が走り、告知が終わって病室に帰る途中でついに心労のためか貧血で倒れ込んだことを記憶しています。私のような小、中、高、大学と野球ばかりやっていた図体のでかい男でさえこのような状況ですから、不妊の問題は多くの患者さんにとって移植の選択すら躊躇させるような大きな「心の壁」になっています。

 私は、移植後順調に回復し、またちょうど大学を卒業する時期でしたので、体のことを考え、就職せずに大学院に進学することにしました。そして、大学院においてある女性と知り合いました。私は始め、この女性とおつきあいをするのがとても怖くてなりませんでした。というのは、私も20代後半にさしかかり、どうしても結婚を意識せざるを得ない年齢になっていると考えたからでした。私は移植前の告知で99%子供ができなくなると言われはしたものの、それでも心のどこかで、もしかしてまだ可能性があるのではないか、という淡い期待を抱いていたものでした。そこで、思いきってかかりつけの病院で不妊の検査を受けました。しかし結果は私がかすかに抱いていた希望を完全に消し去るものでした。つまり、二度と妊娠させることができないというものでした。私はこのことを女性に告げましたが、彼女はそれでも私と一緒にいたいと言ってくれました。私は残りの人生をかけてこの女性を幸せにしようと誓いました。

 その後、お互いの両親にも会い、順調に交際が進んでいきました。そして平成11年7月の終わり頃、どうも彼女の体調がすぐれないという日々が続くようになりました。まさかとは思いましたが、病気でもしていたら大変ですので、念のため産婦人科に相談に行ったところ、何と妊娠していることが分かりました。まさに「天にも昇る」思いでした。その後は、子供が正常であるかどうかという悩みもありましたが、せっかく授かった命ですので、大切に育てようと決心したところ、そのような悩みも次第になくなっていきました。そして、平成12年3月31日午後1232分、無事元気な男の子が産まれました。私はずっと彼女のそばに付き添い、彼女を励ましながら出産に立ち会いましたが、本当にすばらしい、貴重な経験をすることができました。私たちは出産前にすでに男の子であることは知っていましたので、あれこれと名前を考えていたのですが、産まれてきた赤ちゃんを見た第一印象が、「大きく育ってほしい」というものでしたので、「大育」と書いて「だいく」と名付けました。

 残念ながら、現在のところまだまだ私と同じような体験をされる患者さんは少ないのではないかと思います。しかし、現実に私のようなケースが少なからずあるという事実は、現在、そして将来血液疾患で移植を余儀なくされる患者さんにとって、「生」というものに対する勇気と希望を与えてくれるものと信じています。

 最後に、これまで私を応援してくださいました、移植医療スタッフの皆様、そして骨髄バンクボランティアの皆様に厚くお礼申し上げます。これからは、息子とともに骨髄バンクのさらなる発展のために微力ながら尽くしていきたいと考えています。


 この体験記を書いた方と直接お話したい方、お問い合わせは、フェニックスクラブ事務局 まで。