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もう、会社人間には戻らない

田 代 貴 久(大阪・悪性リンパ腫)

 このクソッタレ病気を発病する5年前は、どこにでも居てる当時41歳の平凡な中年サラリーマン、会社人間、終身雇用的人間でした。退院当初、通院の時にネクタイを締めて、背広を着て電車に乗らないと落ち着かない人でした。また、会社という組織の中でしか働くことが出来ない人であったことにも気づかされました。65歳まで会社に奉公し、定年後は80歳ごろまで悠々自適の生活が送れるものと甘いアマイ考えを思っておりました。

 その人生設計が病気により180度設計変更をしなくてはならないようになってしまいました。体は、時間が経てば体力が回復してくるのですが、いかんせん心のほうがなかなか回復しません。どうしても以前の体が健康な頃に戻りたいと思ってしまうのです。そして、発病以前のように会社人間として働くことが病気を克服した証しになると思えてしまうのです。
 しかし、一度、体に病名のレッテルがつくと病気が治っていても、何か傷のように一生病名はついて廻ってきます。世間は健康な人とそうでない人を比較すると、当然健康な人が何事においても優先されます。しかし、このことがいまだになかなか理解できていないのです。頭では、理解できていても心では納得していないのです。本人は発病前の健康なときに戻っているつもりなのですから……。心のQOLが改善していないのです。

 発病してから丸5年が経ち、時間が心の傷を癒すようになり、発病前の不健康な心を思い出せなくなっている自分に気がつき始めています。
 「禍福得失」の意味ー不幸だと思っていても反面良いことがあり、得をしたと思っていても反面失っているものがあるーを少し理解しだしています。

 病気をして何が良かったかと言えば、どんな人でもすべての人に死があることを再認識されられたと言うことです。発病前は私は死なないと思っていた。「人生80年」と思い込みをしていて、自分は80歳近くまでは必ず生きると思っていた。それが、病気のおかげで死に直面し常に死を意識するようになり、おかげで自分自身を大切にするようになり無茶をしなくなり、日々を大切に慎重に暮すように心がけるようになりました。言い換えれば、何事についても「まっ、いいか。」の精神で執りあえず物事を進めてゆく、アバウト的適当精神で過去の負った傷を覆い隠そうとしているのです。

 発病後の人生設計は、第一に死ぬまで健康で居たい。第二に自分自身のために何ができるのか、しいては家族のために何が出来るのかということを考える。第三に良きパートナーと共通の趣味を持って充実した時間を共有する。第四に安定した収入を確保する(年金あてにならない)。以上4点のことをベースにして設計していきたいと思っています。

 もう会社人間に戻ることは決してないでしょう。

 


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