移植から10年、人のために生きてこそ人
浅 野 明 美(東京・CML・姉から移植)
発病は40歳のとき(1987年)、二男がまだ小学2年のときでした。移植は42歳の平成2年2月1日、退院は移植から67日目の4月8日です。 その日にすぐスーパーで買い物して夕食も自分で作りました。
最初の入院先の東邦医大でブスルファンという薬を飲んだところ、歯ぐきに2個穴が開き、歯ぐきが下がって歯の根元が見えてしまい、 のどや胃の粘膜が非常に弱いことがわかりました。薬を中止すると血液の状態が悪くなり、東邦医大では治療法がブスルファンしかないので、 又副作用がひどくなる薬を飲みなさいと言われ、慶応病院へ移り、岡本先生がシアトルの病院へ問い合わせて下さいましたが粘膜の弱い人は アメリカ人には居ないのでわからないと言われたそうです。日本人はアメリカ人に比べると胃の壁も薄いそうです。
粘膜が弱いので、移植対象者から外されていましたが、インターフェロンの副作用がひどくて早く移植するしかない、何とか粘膜を強く する薬を下さいとお願いしましたが、西洋医学の薬では強くする薬はない、漢方しかないと言われ、港区白金の北里研究所病院漢方科の免疫疾患が 専門という先生に診察していただき、漢方薬で内臓を強くして、粘膜も強くなり、10年間ひどかった主婦湿疹も足のかかともきれいに治り、 無菌室で口内炎なども全くできず、血尿も出ず、歯ブラシも最後まで普通の硬さの物を使って移植が出来ました。無菌室に入る4日前まで給湯室で 漢方薬を煎じて飲んでいました。
漢方薬は、強力な化学療法・抗がん剤・放射線療法による副作用の軽減作用があるので、移植の成功率が上がり、無菌室の生活が元気で送れる ということでした。無菌室では毎日入院記録をつけたり、カラオケをうたったり、軽いダンスをしたり、夜中までテレビを見たり、耳が痛くなるほど 長電話をしたり、とても元気でしたので、Drに「もう少し病人らしくしてくれないと、僕たち張り合いが出ない」と言われるほどで、21日目に 一般病棟に移り、免疫抑制剤も5ヵ月半で飲み終えたらすぐ慢性のGVHDでプレドニン服用、副作用のため帯状疱疹になり、神経痛が残ってしまい、 その痛みを抑えるため今でも漢方薬を飲んでいます。
移植して10年が過ぎ52歳になりましたが、普通の人より元気で毎日が楽しく、自分と同じように一人でも多く元気になるために、 第二の人生を「人のために生きてこそ人」の言葉のようにお役に立てればと思い、電話相談(話し相手)をしています。また、 私の移植に携わった10人の先生方・ナースの方達のためにも、慶応病院で最初の移植成功者なので、これからの患者さんの手本になるよう、 いつまでも元気で生きていこうと思います。
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