このパンフレットは、「血液疾患患者の会・フェニックスクラブ」が作成しました。
クラブは白血病など血液疾患の患者や元患者自身の集まりです。不安を多く抱えて 人生を歩むことは楽なことではありません。そこで、患者同志が集まり、病気と闘いながら 「病気に負けず、いかに楽しく明るく生きていくか」を目標として、大谷貴子たち6人の 患者・元患者が呼びかけ、1994年4月に結成されました。
私たち「先輩患者」も多くの悩みを抱えながら前向きに生きていこうと努力しています。 患者ならではの心の交流を求めて楽しくクラブ活動をしています。いま、 血液疾患になったあなたも一緒にクラブに参加しませんか?
患者・元患者が正会員、家族やボランティアは準会員ということにしています。 会費は年に2000円。会員には1ヶ月に1回程度の「フェニックス通信」が送られます。 年に数回の交流会は参加自由です。患者が中心に運営しているグループなので、 「明るく、楽しく、前向きに」という確認だけで、難しい会則とか役員は決めていません。 会員はいま全国で160人くらいです。問い合せは下記の事務局かお近くの連絡先に。
私は36才で発病した慢性骨髄性白血病の患者で、骨髄移植ではなく、インターフェロンで 治療している一人です。発病した時、先生からは、まず骨髄移植ということで二人の兄のHLAを調べました。しかし私と兄とは合わず、 インターフェロンでの治療という事になりました。
HLAが合わないとわかった時は、希望の綱が一本切れた様な気がして、この先の希望を探すのに不安が一杯で、目の前が暗くなるのを避けることができませんでした。
入院して治療が始まり、自分で注射ができる様になったところで退院し、それからは毎日家での注射となりました。 最初は薬の副作用で脱毛や貧血が起きました。しかし、インターフェロンが私には良く合い、 白血球が次第に減少し、薬も次第に弱いものになりました。そして2年後にはフィラデルフィア染色体が消え、 3年後には自己骨髄液を採取保存するまで回復し、5年後の今も元気です。
治療を始めてから少しずつ回復しているものの、不安は常に頭の一部にあり、悪化した時のことをしばしば考えてしまいました。 そんな時は自分自身の自然治癒力を信じ、自分の気持ちを「治るぞ」「治るぞ」と言い聞かせました。 悪い事を考えても一つも良い事はないのです。
薬の治療でも十分回復の可能性がある事を身をもって体験しています。HLAが合わなくても悲観する事はありません。 将来に希望を持って病気に立ち向かって行きましょう。