一部の白血病や重症再生不良性貧血の患者さんには骨髄移植という治療方があります。 でも、移植適応の患者さんがすべて骨髄移植が受けられるわけではありません。 家族に提供者が見つからない場合、善意のボランティアに頼らざるを得ません。 多くのみなさんの努力で5年前からは「公的骨髄バンク」がつくられ、それまでのように 患者が個人的にドナー探しにかけ回ることはなくなりました。しかしまだ必要なすべての 患者にドナーが見つかる状況ではないのです。一人でも多くの患者の命が 救われるチャンスが広かるように、骨髄バンクのボランティア活動に、患者自身、 患者家族も手伝いたいと思います。
お近くのボランティア団体については、下記の全国骨髄バンク推進連絡協議会または フェニックスクラブ事務局までお問い合せ下さい。
全国骨髄バンク推進連絡協議会〒160 |
私は、平成元年にALLを発病しました(当時17歳)。その時は、抗ガン剤等で大変に良くなり、 ほとんど正常に戻りました。
日本でALLは、子供に多く成人の人にはさほど多くはありません。また、幼児では、 移植する事なく薬で治療する子供もいるそうです。
私が行った治療は、他剤併用療法などで寛解導入療法⇒地固め療法⇒維持療法⇒維持の為の強化療法 を行ってきましたが、平成3年に再発、平成5年に転院し、慶応病院で1回目の移植をしました。 この時は、軽い吐き気くらいで、急性GVHDもほとんどなくあっと言うまに退院しましたが、 半年もしないうちに再発、1年たたないと再移植はできない為、時期がくるのを待って 2回目の移植をしました。
1回目の移植では、放射線にて骨髄中の細胞を死滅させましたが、2回目では、放射線照射ではなく、 多量の抗ガン剤を使用して行いました。弟の骨髄を移植後、2週間後に40℃以上の熱により痙攣を起こし、 意識不明、人工呼吸器をつけて1週間後に奇跡的に意識が戻りましたが、脳内出血の疑いがあり、 元に戻るかは後にならないと分からないという事でしたが、幸い後遺症も残りませんでした。 その後、無菌室を出てから、全身に湿疹ができ、皮がボロボロになったり、口腔内には、 水泡ができてしまい食べることが困難になったり、又、下痢もひどく日に20回を超え、 血尿もひどく尿をする度にどこかの内部表皮がドロッと一緒に流れ出ていたりしました。
こんなひどい症状が後から後から出て来ましたが、これを耐えられたのも大勢の看護婦さん、 担当だったとてもユニークな先生方のお陰だと思います。(無菌室や個室で先生相手にファミコンをしてました。)
等々、色々ありましたが、今ではGVHDも、薬もなく、自分で車を運転して元気に学校に行っていますし、 旅行にも4回も行っています。「辛い治療を2回もしてさぞ辛かったでしょう。」 と思っている人が多いと思いますが、なんと私の場合は、振り返ってみると、 大変貴重でしかも楽しい日々の多い入院生活を送らせてもらったと、思えるほどです。 健康で病気の人のことを少しも知らない人よりも、私はずっと良い経験をしたと思っています。
私が思うに長〜く病気と付き合うには(私は発病して7年になります。)、自分自身の病気についての 理解や知識をもつことも大切ですが、それ以上に、信頼できるドクターや看護婦さんに出会うことだと思います。 なぜなら、私たちの病気の治療をできるのはこの人たちが中心だから……