★死を実感したことがありますか?
→そのことで自分の人生観はどう変わりましたか?
★病気になってからは何だか「死」を近くに感じ、気になる様になった。考えてしまうタイプなので死生学のA.ディーケン、日野原重明、遠藤周作、ネイティブインディアンのビジランクエスト等生きる根本の力をどうみなぎらせるか先人の知恵を紐解くようになった。この所新聞でも終末期医療の事について様々な思いが語られている。医学がすごい勢いで進歩する中、どこまでの形の生を選ぶか複雑である。
また子として親の事が心配である。
→熱くなれるものを見つけなければと思っている。
★体調がとても悪い時はやっぱり「死」を考えてしまう。検査結果が悪くて入院を勧められたけど無理に家に帰った時。出血が起きても当然止まりにくいし……でも実感かどうか判らない。「死」の恐怖って感じです。
→元気になってしばらくは毎日をより良く過ごそうなど患っているけれど、そのうち体調が悪かった事なんてすっかり忘れてしまって普通に暮らしている。
★無いといったらウソになりますが、今は寛解が続き元気に生活していますからなるべく考えないように しています。
→病気も私の人生だと思うと少しは気が軽くなります。
★「死」は実感していないと思います。
→人生観は変わらないが、「人は必ず死ぬ」と言う事を改めて認識した事。又、「病気を抱えて生きていく」という立場にたった事。それらは人生観に「深み」を与えてくれ、仕事でも人間関係でも本当に大きな力になったように思います。
★告知を受け、ただやみくもに「死ぬのかな」と心配した。人間いつかは「死」が訪れるとは思っていたが、病気の告知でそれを鼻ツラに突きつけられたような気がした。
→いつでもできる、後回し、と考えていた事がまずできることからできるうちにやる、すぐにやる、やりたいことを優先してやる、家族の事をまず優先する、ようになったと感じられる。
★二度間質性肺炎にかかり、酸素マスクをつけながら意識が薄れていった時、実感ではないが「死」が近いのかなと思いました。二度ともステロイド大量投与で助かった。
→長生きはできそうにないので、有意義に過ごそうと思いました。
★移植後、数週間経った頃に突然心臓発作を起こしました。その時はどうなるのかと思いましたが、この病気については治すことしか考えませんでした。
→普通に生活する事がどれほど大変かということを感じるようになった。みんな何事もなく暮らしているように見えるけど、実は精一杯生きている様に思えて来た。
★「死ぬかもしれない」という不安に襲われた事は何度かあります。
→あの時はたとえ半年でも「退院」して母親としての責任を果たしたい(自己満足でしょうか)、精一杯生 きたい、時間が欲しいと思いました。移植を終えて2年、今自分にはまた時間があると患うと何となく過ぎる日の多い事。ただ急がなくていい、今は慎重に生きる事が大事と家族に言われているせいでしょうか。「死」というよりも、いかに生きるかと考えています。命の時間ではなくて命の質の方が重要だと感じます。精神と体力のバランスを取りつつ、自分が何か出来る時をエネルギーをためながら待ちます。
★「死に際」について考えた事があるくらいです。
→まず今日のある事を感謝するようになりました。事故で一瞬にして死んでいく人もある中で、病気の方が覚悟も準備も出来る。健康だと気づかないものです。残された時間があとどれほどかは皆平等に判らないし、だから「今生きている時間」を大切にしたい。死に際に「ありがとう」と「いい人生だった」と言って死にたい。だからこの時間をおろそかに出来ない。合わせて人との出会いを大切にしたい。
★1991年12月頃大谷さんの「霧の中の生命」を読み、その中に「……慢性期を3年ほど経過すると必ず急性転化がやってくる。……急性転化を起こすと半年ほどの命である……」と書いてあったので自分も後数年で死ぬのかなと思った。1992年
9月頃主治医に「移植しないと治らない」と言われ、移植しなければ死ぬのかなと思った。
→「死は善悪老若を問わず訪れる」と思うようになった。「死」についてあれこれ考える様になった。友人、知人、家族をもっと大切にして生きようと思う様になった。
★治療中、敗血症になった時ひょっとしたらと思った。
→人にどう思われても自分は自分、今までどおりマイペースで行こうと改めて思った。
★告知を受けたのは発病後、化学療法の後寛解したがすぐに再発し、移植を受ける為転院した時だった。しかしその1年間病名は何となくわかり、やはり真実を知らない恐怖で過剰に死を意識してしまって夜眠れない事もあった。
→ただ一分一秒が惜しいと思った。今でもその気持ちは変わらない。
★「死」を実感したことで今までにも増して一日一日を大切にそして一生懸命生きようと思っております。
★臨死体験はないが非常に高い確率で自分がこの世から消滅し、今まで関わってきた全ての人や物を失うこと、そして確実に終焉に向かって近づいていることを実感した。そして一秒一秒が非常に尊いものに感じられた。
→この地球上で他の動植物と関わりを持ちながら、人間としてどうあるべきか。人生において最も重要なことは一体何か?金か?地位か?学歴か?ただ長生きすることか?等について考えることが多くなった。
そして健康をはじめとする全てのことについて、現在の状態が恒久的なものではない、いわゆる「諸行無常」という言葉の意味が何となく判ったような気がした。また目に見えない現代の科学では説明できないエネルギー、生命力、自然界の力等の存在に興味を持つようになった。そして人間もまた他の動植物と同様にそれらの力によって生かされている、と言うことを実感するようになった。阪神大震災でその思いは一層強くなった。
★今まで危険な状態にはなっていないが、今後の再発への不安が大きくなってきた。寛解状態の為、落ち着いた気分ではあるが、再発が死を連想させる。
→自分が生まれてきたことの意味や使命を考えるようになった。子供たちに何を残せるのか、皆まだ幼い為父親の姿や温もりを少しでも感じさせたいと思っている。
★「死」を実感したことはある。発病当初から現在に至るまで断続的にずうーつと続いて行くと患う「死」 に対する自分なりの答えが決まらない葛藤がある。
→価値観が大きく変わった。発病以前はのんべんだらりんとした人生を過ごしてきたが、発病後は10年の命と考えて歩んで行こうと思い、何事にも束縛されない自由な精神と自分を支えてくれる家族や人々への感謝の気持を持とうと思っている。
★「死」を考えない様にいている。
→家族・兄弟はどんな気持になるか、自分のことより周りの事を先に考えてしまった。自分には子供がなく、私が亡くなっても最小限の範囲の悲しみにとどめる事ができるではと考えた。今思うと少し変ですよね。落ち込んでいたのですね。
★この質問に対する答えになっていないかもしれませんがHLAの適合検査結果が出る前夜、もうこれが合わないと自分がなくなって消えていくと思い、何に対してもの後悔とどうしてこんな運命になったのかを考え、不安と恐怖に襲われ「死」はどんなものかを考えさせられた。
→何か没頭できるものを探さずにこれまで日々を送って来たんだと思い知らされ、焦りにもなっているが反対に気づいてよかった……と言うように、自分がよく理解できるようになった。
★生と死は隣合わせにあるということを実感し、したい事は出来る範囲でしようと実行できるようになった。
→当たり前だけど自分は一人だと実感させられた。
★移植を待っている時、タレントの蔵間さんが急性転化で死んだとテレビで放送され、私も移植が6月でしたので同じ白血病でこんなふうに死ぬのかと思い、情緒不安定になり大変でした。駒込病院の先生に「移植するには高齢なので巌しいとは思いますが」と言われたので入院で家を離れる際、再び家に帰る事ができるだろうか、またみんなに会えるだろうか、この山の風景をまた見る事が出来るだろうかと思い、覚悟して家を離れました。
→主人が亡くなり夢中で2人の子供を育ててきていろんな事がありました。だめ押しみたいに私が白血病になり目の前が真っ暗になりました。なぜ私だけがと世の中を恨みましたが移植をしてからは見るもの聞くもの全部が新鮮で新発見、とても楽しい。きっと生まれ変わったんですね。無宗教ですが神様が私にまだまだ困難に打ちかつ力と勇気があると思い試練を与えたんだと思い、そう思えたら何も怖くなくなり前だけを見ることができるようになりました。
入院中も見ず知らずの多くの人達に親切にして頂き、またその間一日も欠かさず手紙をくれた友人がいたりと多くの人達を係わり合いを持つ事が出来ました。
「人間て捨てたもんじゃないなあ」と人間大好きになりました。
★無菌室に入っていた時、ご飯が食べられずどんどん痩せていった時、同じような病気の友達が亡くなっていった時、「死」を実感しました。
→自分が亡くなった他の子の分までできる限り生きなければという気持ちが出てきて精神的にも強くなった。
★パルス療法という点滴で気分が悪く死にたいと思った。数値が悪くなると輸血を繰り返している暗もうダメかも知れないと思った。
→いつ死んでも悔いのないよう自分らしく生きようと思った。
★周りがどんどん死んでいき、自分が残っている時。
→今のうちにやれる事はやっておこう、悔いが残らないように。
後は好きな事をしようと思った。
→死を実感したことで人生観が変わったというより白血病になった事によって変わった。しかし現在以前のような生活に戻ってくると、人生観が大きく変わったと思っていたがあまり変わっていないような変わったような‥・・・・
★いよいよ移植間近となった時、移植後肺炎になった時などよく「死」を考えた。
→人生観と言えるようなものではないが、今元気でいられる事がとても幸せと感じる。それだけに他人から必要とされるような人間でありたい。
→入院中はまた元気で普通の生活に戻ったら人の目を気にせず自分のやりたい事をやり、短い(?)人生を楽しく過ごそうと思いました。(割と周囲を気にする方だったので)でも退院して一年たった今何があっても私自身の個性や性格は変わる事はないと思っております。
★CMLだったのであまり実感はなかった。
★まず骨髄炎になった時、自分でもだめかなと思った。実際あと1日入院が遅れたら移植を待たずに死んでいたと後で先生に言われた。移植後高熱が続いた時 はとても辛く苦しかったので「もう死んでもいいや」自分でも半ば諦めていた。
→あれだけ苦しい思いをしたにも関わらず自分は死ななかったことに対し「死ぬ」と言う事はそれ以上の苦しい思いをするのかと感じた時、自殺をする人や子供を見て、もっと命を大事にして欲しいと思うようになった。いろいろな人を見る事がとても楽しくなった。
★やはり移植する前は「死」を覚悟したし、そのつもりだったというか「死」を真剣に考えた。
→簡単に「死」ということを口にしてはいけないと思った。
★体温が41.2度出た時もう死ぬと思った。
→気合で乗り切り、私はこんな体だけれど頑張ってるぞ、と思うようになった。
★死を意識した事はあります。それは現在も同じ気持ちです。自覚症状が無いままの移植だった事もあり実感というものとは少し違います。
→(移植前)今までの自分の生き方を反省しました。どうしてもっと一生懸命生きて来なか ったのか。こんなむだの多い人生を過ごして来たのかetc……自分を責めました。
(移植後)人の愛の深さを感じました。生きている事の素晴らしさを実感しています。
二度目の人生を人々の為に役立てる事ができたらと思います。
★告知を受けて一週間くらい死の実感があった。
→いろんな事を思い切り楽しみたい。旅行もしたいし美味しいものも食べたい。
★実感はないが、告知以降は現実としての病気の将来像(病気の進行による急性転化の到来)が頭から離れず、自分の命が有限であるだろうことから発病前と後とでは自分においても環境においてもコペルニクス的変換が起こりました。
→病気以前の将来像が砂上の楼閣の如く崩れさり、現在精神的苦しみの中で生きる道を模索している所である。ただし骨髄移植や骨髄バンクの事を知り、人は皆平等で価値ある存在であること、一人では生きていけない事を実感している。
★自分の近くに死があるなあ、とは感じていましたが、生きている今を見つめる事に努力して先のことはあまり考えないようにしました。
→過去の事を考えると後悔して、未来の事を考えると不安になる。今現在をしっかり実感しながら生きて行こうと強く思うようになりました。
★私には好きな油絵と言う趣味があっていくらか病気を忘れる事ができましたが、移植をしなければ長く は生きられないと先生から言われた時と移植日が段々と近づき万一の事を考えた時、一時は移植日が延びていつ死ぬか判らないと言われた時とてもショックでした。
→「死」ではないですが病気をして一日一日の有り難さが身にしみました。弱い立場の人の身になって考える事が少しできるようになりました。
★死を実感したことはあります。皆さんの中で移植に遺書を書いた人もいるって聞いた事あるのですが、私も実際書こうかなと患った事がありましたが「死」を前提にして行動するみたいなのであえて書きませんでした。一番「死ぬ」のが怖いと感じたのはやはり前処の時です。
もしドナーの方が病気や事故にあったらどうしよう、とすごく不安でした。
→移植して退院出来て(移植後10ケ月)その後に嫌な事があっても「生きてるからこそ悲しい事や悔しい事、嫌な事が起こるんだよな−」って自分を前向きに考えられるようになりました。でも最近はやはりそれも少しずつ薄れてきてしまっています。やはり 苦しい事は忘れていくものですね……反省。
★移植の為に入院した時、同室の女の子が会話中に突然亡くなった時に一瞬頭を「死」がよぎりました。
→生きている事がとてもありがたく感じた。有意義な人生を送りたいと思った。
★友人が心臓マヒで死んだ時「人間は必ず死ぬんだ……」と認識した。そして、その入院中真夜中に患者さんが死んでいくのを何度も見聞きし、常に恐怖感があった。
→病気を乗り越えた時点でもうこれ以上怖いものは無いと思って開き直ると強くなった。いつも死を意識しているのでとにかく今を大切にしている。
★告知された時、自殺と病気での死について二通りの死を考えました。しかし移植そのものは順調に回復しましたので実感としては少なかったと思います。
→今までは何となく生きて来ましたが、移植後は毎日毎日頑張って生きて行こうと思っています。
★再発した時に実感した。
→なるべく楽しく生きよう。
★死を実感した事はないと思う。
→死は考えなかったが自分の出来る範囲で健康な人にできるだけ近い生活(みんなが普通にやっていることをする)をしよう、一生懸命に生活していこうと意識するようになった、充実した日々を送ろうとした。同じ人生(時間を生きる)なら楽しく生きようと思った、短くてもいいから太く生きたいと思った。
→少しでも困っている人がいれば助けてあげたいのですけれど、なかなか何もできないままです。
★「生」への執着があまり芽生えてなかった頃、死ぬとどうなるのか……と考えて眠れない日が多かったが生きる為に努力を始めてからは考えることが無くなり、何でも前向きにれだけやっていれば死ぬわけない、という自信が出て来た。(食事・漢方・ストレス解消等)
→人の気持ちを考えるようになった。感謝の気持ちが強くなった。家族、親族の結合を感じるようになった。
→毎日を無駄に過ごしてはいけないと思う様になった。
何でも頑張れば出来ると患うし逆に無理をすることは無いと考えるようになった。
→時間が欲しいと思うようになり、また自宅にいるの が辛くなった。
★無菌室=死、と言う感じを持ってしまった。一度入ったら二度と出て来られないのでは……と思ってしまい、みんなに「頑張って」と言われることがすごく嫌だった。
★毎日「死」を感じながら暮らす日々です。
→今日一日を大切にしたい。自然、大地に感謝。
★最初に病名を告げられた時。
→人生は自分が望むことも望まないことも起こるものだとつくづく思い、思い通りにならないことがあっても、以前ほどとらわれ過ぎなくなりました。
→人に対して親切になった。
★2、3度やばいなと実感した。
→小さい時から発病したので現状が普通だと思う。それにまだ人生長く生きていないので何とも言えない。
→「生きている」という事は幸せなことだと患うようになった。自分に自信が持てるようになった。
→実感はないが不安を持った。そして前向きに考えられるようになった。
→死を実感した事はあまりなかった。人生なるようにしかならないと思うが努力は必要。
★入院中は常に「死」と向き合っていたと思う。今だってふっ……とした時、再発の恐怖にかられる。自殺をしようと何度も思った。
→つらい時、悲しい時、ずっ−と変わらずそばにいてくれた人達に対して本当に感謝、そして感動した。
つらいことの後にはいっぱい、いっぱいうれしいことがある事。また病気になった事は私にとってよかったことだと思えた。
→長期的なビジョンをもてなくなった。代わりにその時々を大事に考えるようになった。
★副作用の為生理が止まった時、生きていても……と悲観したことは何度かあった。
→こういうことにはこれから先も悩まされるだろうと思い、仕事を持とうと思いまして、現在プログラマーの仕事に転職しました。
→死を実感したことはありませんし、病気によって人生観が変化した事もありません。しかし人生に対する視点、注目すべき場所、目的が少し変化しました。
★病気の告知を受けてから病気に関わる本をあれこれ読みあさり、これから自分には超えなければならないたくさんの試練が待っている事を実感しました。
→今までは人に頼りきって生活してきましたが、自分自身をしっかりもって生きていこうと思うようになりました。また今まが狭過ぎたのですが、人や物、周りの環境等について広い目で見る事ができるようになりました。
★最初の頃は自分が死ぬような病気にかかっているとは思ってもみなかったので、意外にケロッとしていましたが再発した時、また移植をするかどうか悩んでいた時は「もしかしたら死んでしまうのかも……」と実感したことがあります。
→今までは当たり前だと思っていた事が本当はなんて素晴らしい事なのだろうということを感じます。また、人との出会いが私を変えてくれた気がします。
★不思議とどんなにヒドイ症状の時にもまわりで友達や知っている人が亡くなっていっても私だけは自分だけは死なない、絶対元気になれると思っていて死を感じた事はありません。
→生と死との間のボーダーラインを考えるといつどこでそれに出会うかわからないので今を大切にしたい。
自分より不幸な人はいっぱいいるから上を見ても下を見てもきりがないと患えるようになった。「人生楽ありゃ苦もあるさ……」まさにその通りだと思っています。
→それまでも現在を大切に生きて来たが、よりこの一瞬が大事に思えしたい事をするようになった。毎年一カ月くらい海外旅行をしている。家族が理解して協力してくれるので嬉しい。
★実感したことは何故かありません。ただ今を大切に生きたいという気持ちが強まりました。
→おおらかになりました。もっといろんなこと経験したいし、出会いも大切にしたい。充実した人生を送っています。
★不安に思い自分の病名を医学書で調べた時、実感した。
→命は本当に大切なものである、と実感した。
★実感しました。「どうして私が」とも思います。死んでもいいかなと思う事もあれば、死ぬなんて冗談じゃないと思う時もあり、いろいろです。
→病気をする前は「マンネリ化した生活」が私にペットリくっついていましたが、今はそして今後移植に
よって病気が治ったとしても、私にとって「マンネリ」なんて言葉は死語になると思っています。
★「あと3年の命ですね」と発見時の医師に告知された時「3年で死ぬのか」とひしひしと感じた。また6ヶ月の入院生活の中で何人かの人が治療のかいなく亡くなられた時、自分もやがてそうなるのかな、と思った。
→別に変わらないと思うが人から見ると変わったと言う。何にでも感動して涙を流す事が多くなった……かもしれない。
★再発時、1年後に生きている可能性は0に近い、と言われました。
→いつ死んでも良いように、悔いが残らないように、やりたい事はするようにしています。また一期一会、この人と会うのがこれで最後かもしれない、と思うようになり、1分1秒が大切です。
★5年生存率3割、と言われても「死」が自分の事として迫って来たことはない。生来のんきな性格だからでしょうか。
→「病気」というハンディを持った事によって、自分が優しくなったような気がする。患者=ある1面で人生の敗者……だが敗者ならではの他人に対し、特に弱い立場の人々に対する思いやりを少し持てるようになった……かもしれない。
★新聞の死亡欄で死因が悪性リンパ腫とあるのを目にすると、もしかして自分も……と思ってしまいます。
→人間はいつ何が起こるか判らないというのを強く実感して、何がどう変わったのかうまく言えませんが、自分の中の何かが変わった気がします。
→生命の尊さ、自然の恵みに素直に感謝できるようになったと思う。知識でわかるということをわかっていたという自分の思い上がりを恥ずかしく思う今日です。
★仲のよかった同じ病気の患者さんが亡くなった時。 ドナーが見つかるかもしれないと知った時、骨髄移植が現実の物と感じられ、これで死ぬかもしれないと思いました。ドナーが現れるのを一日千秋の思いで待っていらっしゃる方も多い中、こういうことを書くのは不遜ですが、まだ骨髄移植の成功率もそれほど高くなく、50%以下という認識でしたので、寿命を縮める事になるかもしれないと思っていました。
→私の場合、骨髄移植をなさった患者さん等と比べたら「死」はずいぶん遠いものだったと思います。従って人生観はあまり変わりませんでした。それよりも病気が一段落した後、社会に出て行きたいと思った時に受け皿がなく、病気によって自分の人生が変わってしまったことを思い知らされました。その時にいろいろ悩んだことで多少、人生観が変わったかもしれません。
★死ぬと言う感覚はもちませんでしたが、物欲全てに対して希望が閉ざされた時期がありました。
→ほんの些細なことが喜び、幸せを感じられるようになりました。家族への感謝を改めて感じました。