→(アンケートまとめ役より)家族の方からは5人の回答を頂きました。数は少ないようですが貴重な意見だと思います。また5名の方全員が自分が患者の場合は告知して欲しいということでした。
◆家族として悩んだ事・考えた事
・患者に先に告知して欲しくない。家族より先に患者が知る事はよくない。
・移植後の経過についての情報が少ないので子供の将来の事が不安。全く手さぐり状態で現在の体調では 将来の計画が立てられない。(マスクがいつ取れるか。いつから遊びにゆけるかなど何一つ予定が立てられない。)
・無菌室での患者のQOL。
・病状悪化時の医療従事者の逃げ腰な対応。
・亡くなる事が明らかな患者を面会の不自由なICUへ移動させた病院の対応。
・娘が中二になり思春期に入ってきました。自分の体の成長が人と違う事に気がついて来た為か、少しずつ将来について考えているようです。また移植をしているので告知はしていますが、他の後遺症については詳しく話していません。どのように対応するべきか悩んでいます。
・患者,娘。3歳で発病し現在6歳。本人が選ぶのではなく、親が治療法等親の考えで決めることばかりで精神的葛藤があります。その年齢に応じた説明の方法があり、思春期に向けて心配です。再発の不安もあります。
・息子が発病した時は、親として出来る限りの事をとの思いで最良の治療をと北海道から東京に転院。その間高校2年だった娘を、親を必要としている時期にも係わらず側にいてやれず悲しい思いをした。息子が再発した時、息子自ら治療選択をしてその事を親として見守りながらも、息子の意志を尊重し、一日でもよい意味での延命を考えた。
・告知はしたが、乳幼児のため理解できたかどうかは不明。
感染を恐れて兄弟の面会が不自由だったので、家族一緒に過ごす時間が欲しかった。
・臨終には間に合ったが最後は注射や心臓マッサージの為バタバタしていてゆっくりお別れができなかった。
・新生児は珍しいとのことで、殆どデータや情報が得られず不安だった。
◆医療費・生活について
・小児慢性特定疾患に認定されている為医療費は無料。
しかしベビーシッターを頼んだり肉親に応援して貰ったりした関連出費が約100万円。
◆発病した時困った事、悩んだ事
・珍しい例で薬の量も判らない。母乳もミルクも飲めないと言われ途方に暮れた。毎日いつ死んでもおかしくない状態だった。小学生と幼稚園の兄たちは楽しみにしていた妹に会えない上、面会時間の関係で帰宅しても母親が病院に出かけており、寂しがった。 (患者0歳児)
・この子の将来はどんな結果になろうとも悔いの残らない、しかも本人が納得できる人生にしようと決心した。
・本人への告知をどうするか。自分が付き添う為残った子供たちをどうするか。
・退学するかどうか(本人が)悩んだと思う。→結局退学した。
・病気についての説明に対し何を質問すればいいのかも判らなかった。自分で調べるにしてもなかなか本が見つからなかった。治療方法などについて周囲(親戚等)の理解がなかなか得られなかった。
→(アンケートまとめ役より)最後の回答については医師によるインフォームドコンセントがうまく機能していないことを象徴しているのでは?
◆病院や医師に言いたいことがあれば
・お医者さんは忙し過ぎてつかまえるのに苦労する。
・よくして貰ったと思います。ただ亡くなった日あれが最後だと判っていたなら家族だけで静かに見送りたかったと思いました。お医者さんが十分手を尽くしてくれた事は判っていたので。
・施設間・医師間のレベルの差がありすぎる。MRSAの予防を徹底して欲しい。無菌室で死にかかった。
とんでもない話です。
・まず人間として心の通った医療者であって欲しい。
・大学病院とはこんなものかと言う感じ。医者間の力量の差が歴然としており、力のある医者の患者がいろいろ優遇されているのが判った。
・治療技術を確実な物にして欲しい。人間の体は実験材料ではない。
・いろんな場面で患者・家族の人権がおろそかにされいると思った。
◆死を実感したことがありますか
・毎日が恐怖の連続でした。母親として病院の中でできること、してもよいことをすべてやってやろうと思って過ごしました(最初はできないことばかりで泣いてばかりいました)。ただ本人は生まれながらにしてのことなので、変だなあと思いながらも受けいれていたのではないかと思います。
・急性リンパ性なので治療方法が決まるまでの2週間、どんどん体の弱っていく娘に死がちらついた。3歳でしたが死にたくないと本人が泣いた!助けて……と。
・発病時と再入院時に実感し、その後本人に付き添う中で母である私自身も死を実体として受け止めてゆけた。
◆そのことで自分の人生観はどう変わりましたか
・毎日面会後に死んでしまうかも、と思って大切に接して暮らしました。他の子へ注いだ何倍もの愛情を注いだつもりです。太く短く深く暮らしました。とても充実していて今から思うと苦しくても幸せな時間でした。
・人の痛みが判るのか、人の事を常に心配するやさしい子に育っているようだ。阪神大震災の時もまず病院にいる友達を気遣っていた。(患者現在6歳)
・何もできないと考えず今を大切に生きる。
・人は死ぬと言う当たり前の事を実感。どのように自分が死んでも悔いの無いように生きる事が大切という思いを強くした。またこの経験をガン患者の為に役立てたい。さらに自分が老後家でみとられる体制づくりを模索中。
◆病気になった事を自分の中に受け入れる事ができたと思いますか
・6歳なりに皆と同じようには出来ない事もあるという事を理解し、風邪のような軽い病気でない事は判っている。
・ぼく勉強して僕のような子供たちを治療する人になるんだ」と言っていた。多分つらかったと思うが学校から帰っても、友人の先生と勉強していた。
◆移植を受けていない人は 治療法、経過等を
・化学療法で現在2年半経過、うち5カ月入院。治療は終了し2週間毎の血液検査のみ。
再発すればバンクから移植の予定。副作用は脱毛、 肝機能低下、胃腸粘膜のただれ、痔等。
患者は6歳女児。
・化学療法にて寛界導入をはかるが至らず。前後して2人の兄とHLAが一致する事が判明し、他の医療機関で移植の可能性を打診した上で慢性骨髄性白血病の治療に入り、再度寛界導入を試みるが薬が効かなくなり、肺炎で死亡。脱毛、特に吐き気がひどくベッドに縛りつけておかれた為、寝返りもうてなくなる。一時座る事ができるようになっていたが、再び寝たきりとなり、ミイラの様に痩せた。
◆移植を受けた患者さんの治療法、経過等を
・血縁からの移植は小児科で初めてということでとても不安で、周囲に経験者がおらず東大医科研まで知人に話を聞きに行きました。後にフェニックスを知り、もっと早く知っていればと思いました。消化器系にGVHDが出たので食事が細く、高カロリー点滴を半年受けました。
◆フェニックスクラブについて
・今は家族としてより、一看護婦として患者さんのケアーに関するいろんな意味での「気付き」を与えて貰っています。また自分自身前向きに生きる力にもなると思います。今後はブロック別の集まりを持つのもよいのでは?
・通信をよく読んでいます。とてもおもしろいのでぐいぐいと。特に大谷さんと野村さんの連載は楽しみです。入会して、他人の人生の重みを少し感じ取れるようになってきました。今後は地域に支部を作って会報の発送等請け負ってはどうでしょう。個人的にはインターネットで子供のホームページを開いて死の恐怖に怯えている人達と一緒に泣きたいのが本音です。
・入会してとてもよかった。励まされる。入院中の人にも勧めた。GVHDや予防などの体験談が役に立つ。会員が増えたら支部制導入も良いのでは。九州での交流会を。
・患者さんが明るいのには家族として驚いています。反対に親としては子供が少しでも痛い所があったり、熱が出た時などとても不安になります。今後子供が悩んだりした時にフェニックスのことを教えるつもりです。皆さんの様に前向きで進んでいこうと思います。
・通信の特集として、告知を受けた時とその後の気持について、患者さんの話を聞きたいと思います。
・交流会は、患者本人と家族を日時や場所を別々に設定して開いてもよいのでは。その方がもっといろんな事が話し合えると思います。
・患者の交流会の機会をもっと増やしてはどうでしょうか。現在悩んでいる人は話す事で心が癒されると思います。世話人の方は大変でしょうが。
・子供たちが小さくまた周りの協力も得られないので講演会なども参加が限られる中、フェニックスの通信は貴重な情報源です。またいろいろな人の元気、エネルギーを感じ私もがんばらねぱ〜って元気が出る。勉強しなくちゃ〜っと思う。
・これからの希望としては、小児の場合、少し成人と違う面もあるので、そういう方の集まりがあればと思います。
・通信を楽しく読ませて貰っています。懐かしい人お名前が多く有り、あの人も元気なんだとうれしく思います。フェニックスは患者さんが前向きに明るく生きることができると言う点ではとても良いと思うし、私は自分の子は今はいないけれど同世代の人達に会えてうれしいです。