戻ります

     人生観についてなど

◇ 困っている事などは特になし。病気になって人生が大きく転換しました。病気になり
  初めて‘生,というのを考えたし人の気持ちを一層深く理解できるようになった。病
  気になる前の私の人生は今はどうなっているのだろうと考える時もあるけど移植して
  約6年、のどもと過ぎれば熱さもなんとやら…(顔文字で泣く)という状態です。

◇ 移植しなければ危ないというところまで病状が進んでいたので骨髄バンクとドナーの
  善意によって救われたという実感があり、ボランティアの大切さとありがたさを日々
  感じています。
  どんなに健康な人もいっ病気になるかわからない。人生の一回性と有限さ生命の大切
  さをひしひしと感じるようになりました。

◇ 病気になってしまった頃、その事実を自分で早く受け止めること。受け止めてしまう
  と自分のする事(=考えること)が見えてきます。後は前を向いて1日1日を大切に
  楽しく生きるのみ。

◇ 薬の副作用によって骨や内臓が弱ってしまい、人並みにスポーツなどが出来なくて残
  念です。
  移植して4年が経過し、元気に仕事をしてボランティアをやりながら復活できた幸せ
  を感じています。大きな病気をして自分の考えが変わったと患います。移植前には自
  分の恩ったことはどんどん進めてきましたが、今では一歩下がって常に幅広く冷静に
  なったかなと患います。(年齢のせいかもしれませんが)又、多くの友人を知ること
  が出来ました。そして多くの考え方も学ばせて頂いています。病気になってからの自
  分の体の管理をどのようにしていくか常に気を付けて、今を大切に生きることと思っ
  ています。

◇ 虹は雨と太陽の光の両方が必要である。人生には暗い面と明るい面、また喜びと悲し
  みがある。逆境を経験した人は、後に豊かで満足のいく人生を送ることが多い。逆境
  を克服する事さえ出来れば強くなれる。すると優しく、他人の気持ちが分かる人にし
  てくれる。逆境なしの人の多くは人生の終わりに、虹を見る事は難しい。虹を見たけ
  れば、雨に耐えなくてはならない。

◇ 主人が記入しない為、本人の意思はわかりませんが、家族からの『眼』で見ると…。
 『自分の死』というものを、発病してから、受け入れられない、受け入れたくないと
  いう気持ちが強く、移植して、こんなに悪い状態(GVHD)になったのは、移植を
  進めた家族にある。とずっと患い続けることで、自分の気持ちを今だに紛らわしてい
  る様子です。でも、家族の為に経済的に自分が働かなくては・・・と思い、頑張っている
  様である。受容出来ない自分と、現実を見つめる自分がいるようであると思っている。
  家族は、その気持ちを受け取め、ADLの低下や精神的自立に、ケアしている状態で
  ある。皆さんは、どう対応されているのでしょうか…。

◇ 一応、社会復帰をし、結婚し、子供が2人います。あと何年再発しないで生きれるか、
  ふと考えることがあります。

◇ 病気になって考えたことは、まず、自分は死ぬのか、この病気は治せるのかインター
  ネット、本を読みましたが、悩んだ末「なるようにしかならない。」という気持ちで
  移植しました。また、それまでにさほど感じなかった健康であることのありがたさ、
  家族の存在や親、友人、私をとりまく全ての人とドナーの姉に感謝していることです。
  いろいろありましたが、今は幸せだと思っています。家族の為に、食事を作ったり、
  家の中の事をするのが楽しく、これからも「細く長く」生きて行こうと思います。

◇ ホルモン療法で婦人科に通っています。今年、夏から3ケ月分薬をもらえることにな
  り、健康診断と思って行こうと思います。ものぐさなので、その時に眼科、整形科と
  外科等、兼ねて(白内障、骨そしょう、乳がんが気になるので)行けるとちょうどい
  いと思っています。
  病気にならなければ、神戸の会でボランティアをすることもなかった思い、そういう
  意味では、新しい世界を知ることができ、よかったと思う(元気になったからいえる
  ことです)

◇ 今年の夏で、BMT後5年となり、最後のマルクによる詳しい検査も100点で、心配は
  全く無用という、主治医の話を自分で信じられない位当然と思える100%復活中です。
  医療状況にもより、BMTの成功率20%の例で、その後に確率50%の肺炎を2度おこ
  し、数%での5年後です。再発中でのBMTでしたし、自分以外は一時諦めたと思い
  ます。今は、極厳しい肉体労働とか、夜半までの接待とか、全く元のタフマンですが、
  当時は、たたかれる前の蚊でした。私は、人の見本となれる身ではありませんが、病
  人の見本になれるとは思えます。どんなに優秀なDrが助からないと言っても、私は
  復活して見せると思い、自分を信じ復活を思い続け動きました。今の困っている事は、
  願ったハードな日常に戻るだけで満足してはいけない自分を強く感じる事です。病気
  を気にしない事の大切さは、生きているのが不思議な位の病歴をもつ父にも私にも言
  える事です。病気を知る事は大切ですが、何であろうと治すという気持ちが大切です。

◇ 将来設計を大幅に変更というか短縮させて考えるようになり、マイペースで実行しよ
  うと思っている。特に困っていることはありません。

◇ 1992年7月に移植して、再発した為弟よりリンパ球輸注(DTL?)し(1998年10月〜
  1999年2月)今に至っています。病棟で若い人や同室の人知人をたくさん天に召され
  人生感が変わりました。十年近く入退院していてまだ2ケ月に一度通院しています。
  末っ子も今春大学生となり私も合唱団に入団したりパッチワークを習ったりと(主人
  は単身赴任で介護2となった母と娘(私の長女)ウイークデーは三人で生活していま
  す)。二度目の人生と思って生かされています。時々介護に疲れながらも楽しい予定
  を考えながら生きることにしています。年のせいか病気をしたせいか涙もろく、何に
  でも感激してしまいます。ポジティブにと言われながらなかなか難しいですね。八十
  歳の義母(痴呆)の介護がいつまで続くか、私のせっかくの二度目の人生ももっと有
  意義に過ごしたいとも思うのですが…。そして、以前より他人にやさしくなったので
  はないかと思う。

◇ 今は、何ら治療はしておらず、いつ移行期、急性転化するか不安です。やはり、いろ
  んな病気にかかってしまいます。甲状腺亢進症(治療済)・ヘルペス・鼻腔炎症等々。
  発病当時、どこで知り得たのか新興宗教への勧誘がありいやな思いをしました。
  グリベックの治療費が高いのに驚きましたが、効き目は早いですね。(6錠/日×14
  日間・社会保険適用の2割負担で8万円程)インターフェロンとグリベックのどちら
  を選ぶかと言われたら、やはりグリベックですね。私の場合、1日6錠は多いように
  思います。入院中に担当の先生に「グリベックはどれ位の期間、服用するのですか」
  とお尋ねしたところ「ある程度6錠/日は必要です。湿疹がとれたら3錠/日からは
  じめましょう」といわれましたが、半年経った現在でも服用していません。休み休み
  の服用でも効き目があるのではないでしょうか。

◇ 少し迷っていることがあります。2002年のはじめに子供を一人養子として引き取りま
  した。私・家族としては、この選択はよかったと思っていますが、フェニックスクラ
  ブでは子供のことは、なんだかタブーのことのような感じがして、あまり声を大にし
  たらよくないのかなとも思ってしまいました。私個人としては、養子に関して知りた
  いと思ってらっしゃる方にはお話したいと考えています。そう考えてらっしゃる方は
  居られるのでしょうか?

◇ 病気になって一番考えたことは、移植によって子供が作れなくなるということでした。
  私の場合、運良く子供に恵まれましたが、おそらく非常に稀なケースでしょう。思い
  がけず子供ができたことによって、大変な苦労もありましたが、現在は普通の人以上
  に、幸せな生活を送っています。

◇ 14年10月離婚し、将来不安

◇ 困っている事はいっぱいあると思うけど何事も深く考えないようにしています。
  病気になっていろんな事を経験したけどたくさんの人達と知り合い、又、体験を話す
  る機会が増え、つらかったことばかりでなく家族の絆も強くなったように思えるし、
  あの時があったからこそ今があると思っています。

◇・薬の副作用で髪が少なくウィッグにかかるお金がとても高額なので大変。(贅沢な
   悩みですみません)
 ・ステロイドの薬から骨頑壊死になり、痛みがひどい日は動けないです。
 ・ドライアイで目の中がごろごろする。白内障から目が見えにくい。
 ・病気になって考えたことは1日1日を大切にいかに人生楽しく生きて行くか、生き
  て行こうか考えながら今日まで充実した日々を過ごすことが出来ました。
 ・障害はたくさんあります。うまくいかないことは多々ありますが負けないでいっも
  笑顔でがんばる事ができるのも病気になって大切なものやエネルギーをもらい、す
  べてを「ありがとう」と「ありがたい」と恩える自分になれたことを感謝していま
  す。貴重な人生を時間を歓喜を持って輝かせていきたいです。

◇ 現在結婚し子供が欲しいと思っています。化学療法しかしていないのですが身体にど
  のくらい影響が残っているのかもっと詳しく知りたいです。もちろん主治医の先生、
  婦人科の先生にも聞きましたがどちらの先生も(2人とも親しみやすい先生です)
  「現時点では不明という言葉が近い」とか「影響力は少ない」といっています。もち
  ろんデータが少ないというのは分かっているのですが、もし、化学療法の妊娠に関す
  る情報がありましたらお願いします。

◇ 今度、血液センターで、初めて私一人で講演をする事になりました。この私が…??
  驚きです。友人に頼まれて。献血活動の重要性について…らしいです。ついでにバン
  クの宣伝もするつもりです。病気を克服して(?)元気になったものとして、普段献
  血活動をしている学生に対して(「献血してください」といっも呼びかけるだけなの
  でその献血されて血液がどのように役立てられるのか、体験者の話を聞きたいとかで)
  私が話すことになりました。いつもいつも、せっかく元気になったのに小さな事で悩
  んでいてばかりの私が、こんな私でも役に立てることがあるのかなと思っている今の
  私です。いったいどうなることやら……。

◇ おかげさまで、今のところは、それほど通常の生活に支障をきたすことなく健康な状
  態を維持しているが、やはり、いつ急性転化してしまうかについては常に不安を抱え
  ている毎日です。しかし、あまり先のことを考えても不安は募るばかりなのでとりあ
  えず一日一日を大切に前向きに生きていくことを心がけています。

◇ 病気になって人生観が変わりましたが、最近は仕事も忙しくなり病気のことを忘れて
  しまいそうになる程、以前の感覚に近くなりつつあります。人間は辛かった過去のこ
  とを忘れていくように上手に出来ているような気がしますが、病気になって気づいた
  のは大切なことまでは決して忘れないようにしたいと思っています。

◇ 1.病気になって健康のありがたさや普通に生活することの難しさを実感しました。
   今まで何気なくしていた行動や会話の重大さも自分なりに気付かせてもらったと思っ
   ています。皆さんも当然、告知される恐ろしさ、せつなさを体験されていると思い
   ます。精神的にくじけそうになることもあると思いますが、自分だけがなぜ病気に・・
   とマイナス思考ではなく、自分だからこそ、この病気に耐えられる、選ばれた人間
   なんだとプラス思考になれたら、少しでも勇気が湧いてきませんか?そして、絶対、
   信じる心と希望は持ち続けることが大切です。

  2.移植後に起きた体調の変化にまだなれないというか、本来の自分の体になってい
   ないと感じます。GVHDのことなどを考えると社会復帰に踏み切れません。仕事
   をしたいが一方では不安がよぎり、宙ぶらりんの状態が続き悩んでいます。

◇ 命の尊さと何事も一歩おいて考えられるようになったことがよかったと思うけど、仕
  事をしても何をしても、どこまでしていいのかが、まだわかりません。

◇ 誰にも言えないし、仕事は長時間は無理なときもある。

◇ 発病当時は自分の病名を知らぬまま、移植を受け、長い入院生活で次々と出てくる
  GVHDと闘いながら不安でいっぱいでしたが、移植を受けて13年が過ぎ、現在は趣
  味も楽しみながら日常生活を送っています。
  病むことにより、人との触れ合い、人の支えを身を持って感じ、多くの友人もでき、
  人の痛みも少しは解るようになりました。
  困っていることは、やはり、髪が薄いことと骨量が少ないことかな?

◇ 1.普通に家で生活ができるので、多少の不安、不満はあるが、「生きていることで
   よし」としています。
  2.病気になり、再々発での移植、子どもが小さいので母親である自分がいなくなっ
   たら?と考えると、とにかく弱くても生きていなければダメだと強く思った。
  3.普通の生活のすばらしさは、それができないことの辛さを感じなければ、わから
   なかったかもしれない。
  4.TVで美容整形とかを見ると「健康ならよいじゃないの」と、思う。

◇ 正直今までは攻めの仕事を考えなくても、食べるだけなら何とかなってきました。し
  かし、今後3人の子供の教育費が膨れ上がるので、別途収入を確保しなければなりま
  せん。昨年、訪問介護事業を立ち上げたが、これからというときに体調を崩してしま
  い、結局人に譲ってしまいました。病気、治療、死への恐怖の苦しみを恩えば何でも
  耐えられると思っていましたが、気力はあっても体力がついていかないとどうしよう
  もありません。また病気は黙っていても向こうからやってきたので、運命と割り切り、
  自分と家族が耐え忍んで一つ一つ対処していけばよかったのですが、仕事は周囲の人
  を巻き込むため、社会的責任が重くのしかかるのはいうまでもありません。いざこっ
  ちから踏み出すとなるとどうしても慎重になってしまうのです。どこまで自分を追い
  詰めることができるか、自分自身の精神的肉体的限界を見極めるのが難しいのです。
  最近の社会情勢、特に子供がいるので教育には関心を持たざるを得ませんが、そのせ
  いもあって今はPTAを中心に地域での子育てを中心とした町づくり考えるグループ
  に参画しています。しかし、不景気の折、参加できる男性が少ないのです。さらに自
  治会からも誘いがかかりました。どこも人材が不足しているようです。私のように一
  見元気そうだが、いざというと働きにいけない、という者はもってこいなのかもしれ
  ません。とはいえ、地域の行事などがあるときは、その日に体調が悪くならないよう
  調整し、次の日には休養を取らないとだめなときもあるのです。
  思えば人生これからというときに、病気につかまってしまいました。そして気がつけ
  ば人生半ばを過ぎています。健康体でもこれから新規事業を始めることは勇気がいる
  ことかもしれませんが、31歳で移植して再生したからには、このままで終わってはい
  けないような気がするのです。

◇ 病気になって考えたことは、家族といる時間を大切にしようということ。いつどうな
  るかわからない身の上なので、子供(一人=5歳)と一緒いる時間を多くとり、また、
  身体が自由がきくうちにいろいろなところへ出かけてみようと思った。今は、1ケ月
  に3回位はドライブやお出かけしています。

◇ やはり、体力が落ちたこと、少し疲れたなー、と思ったらすぐに風邪をひいてしまう
  ので困っています。ちょっとでも具合が悪くなると、再発を考えたり他人と比べて自
  分の体力のなさに落ち込んだりもするのですが、入院中や退院直後と比べると断然良
  い方向に進んでいるし、できないことよりできることを考えてあまり悩まないように
  しています。

◇ 病気になったことで心身共に辛い思いもしたし、人のイヤな面も見たしお金もかかっ
  たし、仕事も辞めることになったので、たしかに失ったものもあるのですが、病気を
  通していろいろ考えたしいろんな病気を持っさまざまな年齢の友だちができて、信頼
  できる医師、看護師の人たちと知り合うことができたので、得たものの方がかなり大
  きかったと恩います。
  もちろん移植とその後の入院生活をもう一度経験しろといわれたらイヤだけど、自分
  の人生には必要な通過点だったと思っています。

◇ いま、困っていることは、記憶力の低下。

◇ 病気になって、大きく失ったものは、知力、体力、美貌です。が、代わりに気力が増
  大しました。わずかに残った体力と知力を100%近く駆使して、生きることが出来る
  ようになりました。私に命をくださった方々へのご恩返しは、私が自分の人生を大切
  にしてしっかりと生きて行くことだと考え楽しく生きております。

◇ 移植から来年1月で3年を迎えようとしていますが、今だ健康な人と接するとき自分
  とは境ができてしまい以前のようにうまく接することができなくなりました。又中に
  は私が元白血病患者だと相手が知ったときの態度は移ると恩う人もいれば必要以上に
  「大丈夫ですか?」とかどの言葉を取っても偏見としかとれず病気の事は最近一般世
  間を通じよく耳にするようになってきましたがまだそういう誤解をまねくような理解
  のとらえかたが多く困っています。
  病気になって考えたことは、再発が恐い、もう2度とあんな治療襲ってきてほしくな
  い。また移植したことにより結婚観が無くなりました。TBIを受け子供が産めなくな
  ると知ったときから自分には普通の家庭を築く事ができない、こんな自分には結婚な
  んて求めてこないと思うようになり将来が全く見えなくなりました。どうして自分だ
  けが…。患者さんなら(得に独身の方)一度は同じ気持ちを考えたとおもいます。

◇ とくに有りません。生命保険のまともな物に入れないこと。病気になって考えたこと
  は数知れず。ただ今はその悩みも少ないです。

◇ 今困っていることはとくに有りません。病気になって考えたことは数知れず。移植を
  したら不妊になると聞いていなかったので、治療から解放された喜び以上にショック
  が大きかった。

◇ 1)困っていること
 ・GVHDのコントロールができておらず、体調が不安定なこと
 ・今後生活していく為にも仕事をしたいが、体調のこともあり困難さが付きまとうこ
  と
 ・入院中は医者や看護婦さんが身近にいたので、気になる事や質問が気軽にできるけ
  ど、退院後はすぐに質問できる環境がないこと
 ・移植後間もないからか、風邪などに感染し易く、また治りが遅いこと
  2)病気になって考えたこと
 ・他人と比べるのではなく、自分自身の満足感を満たす生活を考えるようになった。

◇ 病気になって、人生とは何だろうと真剣に考えた。また、考える機会を与えてくれた
  という意味では病気になったこともプラスだと思えるようになった。もっとも、現在
  の病状(週1回INF600万単位投与;PH+は0/20維持中)が落ち着いているからで
  すが。

◇ 体力が衰えてるので、物を持ち運びが出来なくなっている階段の登りがキツイのに電
  車移動で階段しかない駅が有るのでいちいち問い合わせする事。経済的圧迫。

◇ 困っていること…特にない。移植、DTL後にGVHDが発症した時は症状に一喜一憂
  していましたが、治療から丸3年を経過し、症状ともうまく付き合えるようになった
  と思います。死ぬかもしれない、と思った病気ですが、現在は職場復帰も果たし、日
  常生活は普通にできています。ある程度のGVHDもやむを得ないのかも知れません。

◇・保険に加入できない。事故による外傷などの分は可能であるが、病気関係は無理で
  あること。
 ・移植によって、卵巣機能不全となり、女性ホルモン補充療法(HRT)中である。
  それにより、子宮体癌、乳癌の危険性が高くなること。もちろん、検診はおこなっ
  ている。
 ・病気になって、人に感謝する気持ちが非常に強くなった。なんでも自分一人でなん
  とかなると思っていたが身体的にも、精神的にも何もできないことが痛烈にわかっ
  た。いや、わからされた。
  生きていること。毎日仕事に行き、遊びに行き、普通に生活できることが何よりで
  あることに実感している。

◇ 発病するときまではのんきで何にも考えないで生きてきたんだなぁとつくづく思いま
  した。それから価値観がかわったように思います。発病前の私にとっては、価値のあ
  るものといえば「高価なモノ」と思っていたフシがあるのですが、病気をして自分が
  死ぬかもしれない・・・という状況になったときはそういったものは何の価値も意味
  も持たないと恩いました。

◇ "今"を受け入れる事は 病気になって努力できるようになりました。でも 進行を
  感じられる筋肉・皮膚の症状が辛く悲しいです。生きる事への欲が増え(笑)なのに
  不自由さも増え・・・ムヅカシイです。
◇ ハイリスクを押して移植してホントに良かった。発病時神も仏もあるものかと自暴自
  棄になったが今は「神はこの人なら病気に負けないはず」と私を選んだんじゃないか
  と思っている。苦しい事は全部忘れたがその時関って下さった周りの人達への感謝は
  一生忘れない。

◇ 病気になって失ったものもありますが、それよりも家族との関係やたくさんの新しい
  友人など、得たものの方が多いように思います。発病した時は、”人生いつ何時どう
  なるかわからない。いつ死んでも後悔しないように生きて行こう。”と思ったのです
  が、病状が回復してからはついつい日常に流されて忘れがちで、反省しています。

◇ 私が一回目の移植で髪を失ってから10年以上の年月が流れた。20代を丸ごと病気に奪
  われてしまうなんて、考えもしなかった。再発し移植等が繰り返された事で、さらに
  様々な障害を背負い、その上また再発した。それでもまだこうして生きていられてい
  る事に、支えてくれている人達等への感謝の思いは深く抱いているが、やはりどうし
  ても、「人生なんて、むくわれない者はむくわれないし、むなしく、苦しいものだ」
  という思いが強いのは否めない。毎日、体の痛みをこらえたり、人生設計は狂いまく
  るし、たくさんの夢をあきらめざるを得なかったし。そして、髪の事等に関しては、
  命の重さに比べたら大きな問題ではないととらえられがちだが、見た目に表れてしまっ
  ているという事は、事実をつきつけられて逃げられないという事。私が望んでいるの
  は「私の体の中から白血病細胞を駆逐する事」自体なのではなく、「普通の健康な女
  性と同じように、普通の女性の感覚で生活できる事」なのだ。それさえかなうなら、
  別に、一生白血病が存在していたってかまわないくらいだ。私が長く苦しんできたの
  は、白血病細胞そのものによるというより、治療によってひきおこされた副作用によ
  る症状、障害のためだ、というのは、なんと皮肉なことだろう。もちろん、抑えが効
  かなくなった時に白血病細胞そのものがひき起こす症状の恐ろしさも分かってるので、
  なおさら、ジレンマに苦しむばかりだ。

◇ 困っていること・・・少しでも何か症状が出ると、重い病気に思えて、神経質になって
  います。これは性格でしょうか。
  病気になって考えたこと・・・あぁ、人は死ぬのだ、と実感したことです。

◇ 発病以来10年を経過。途中、若干の副作用はありましたが、フェニックスクラブのみ
  なさんの情報で助けられ乗り越えてきました。「人は誰でもいつか死ぬ」ことをまと
  もに自覚したことで、自然や社会、人に対する見方などは確かに深くなったと思いま
  す。これまでの世界と違う新しい人間関係も広がりました。しかし、なんともない生
  活が10年も続くと、もともとの「仕事人間」的な気持ちが頑をもたげ、これならもっ
  と本格的に仕事をすることもできるんじゃないか、という焦りが生まれることもあり
  ます。私の性格では、「ゆっくり、ボチボチ」というのも本当は努力がいるんです。

◇ 発病する前のように、仕事、遊びと自由にできなくなった事ですね。

◇ 健康であるということがどんなにすばらしいことか、よくわかりました。今までは、
  毎日、よく不安、不満など感じながら生活していたことが多かったけど、今では、仕
  事でつらいことがあっても、それを反対に、仕事ができることはすばらしい、うれし
  いという様に感じ、なんでも「+」思考でいけるようになりました。

◇ 困っている事は特にありません。

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