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移植とセカンドオピニオン

加 藤 郁 子(CML・兄から移植)

 ある日突然降ってわいたような病気『白血病』
 このインパクトの強い病気を告知された時は誰もが驚き、戸惑い、悲しみそして神様を怨み、「なんて理不尽な」「何で他の人じゃなく私なの?」等と腹立たしく思った事でしょう。

 告知されて、失意のどん底に落ち、痛い骨髄穿刺に耐えながら神のなせる理不尽な仕打ちに打ちのめされた挙げ句に移植するかしないかの決断を迫られる患者にとってどっちを取るにしても勇気のいることです。私もその時迷いに迷いました。移植をするか否か最初告知された病院では、あなたの場合は移植しても治癒率は20%、たとえその中に入っても廃人同様になるかもしれないと言われました。患者が高齢(当時48才)、ドナーである兄も56歳の高齢、1座のミスマッチ、肝臓に13センチもの膿胞がある等々の理由からです。これでは移植よりインターフェロンで治療した方が良いというのでその治療に入りました。が、その治療を進めていくうち、だんだん私の中に不信感が芽生え始めました。と言うのも素人の私がえっと驚くようなミスをする、検査結果の説明を求めるとうるさがる、患者とドナーの検査用紙を間違える等といったような事があり、おざなりだなと感じたからです。こんな重篤な病気なのですからもう少し真剣にしっかりと、且つ親身に対応していただきたかったと思うのは患者の甘えでしょうか。いとも簡単に「余命は後3年ですね」と言われた本人は絶望の淵にいてなんとか助けて欲しいと願っているのに最初の病院はあまりに冷たくいい加減でした。もしかしてこのままこの病院にかかっていたら治るチャンスも逃すかもしれない治癒率20%といっても自分にとっては100%か0%かどちらかだ、だとしたら100%に賭けた方がいいんじゃないかと思い始めました。

 その頃人づてに移植した方が良いかどうか違う病院の先生に判断を仰いだ事があります。
 いわゆるセカンドオピニオンです。その先生は見ず知らずの患者の事なのに親身に話を聞いて下さり私のリスクの高さや条件をよく理解なさった上で最後にこうおっしゃったそうです。
「今移植しないと死ぬよ」
 人それぞれにこの言葉の受け止め方は違うと思いますが私はこの言葉に後押しされて移植を決意しました。
 とは言え、病院を変わる事には少なからず心が痛みました。不親切だったとはいえ、半年間はお世話になったのですから
 意を決して主治医に移植したい事、受け入れてくれる病院がある事、カルテが欲しい事、等をお願いしました。
「いいですよ。でも移植に失敗したからと言ってここへ泣きついて来ないで下さいね!」
憮然とした表情で主治医はこう言い放ちました。「……」一瞬しらけた空気が流れました。
移植すると決めたものの私は未だ悩んでいました。"移植しても廃人同様になるかもしれない"この言葉が呪文のように重くのしかかっていたのです。

 しかし、新しい病院の移植チームの先生方と面談した時その不安は吹っ飛びました。そして、私は治るんだ!と確信しました。何より、先生方が信頼出来るのです。患者の話を真剣に受け止めて下さり、親身にアドバイスして下さる、それだけでも治った気分になったのです。移植例の豊富なその病院で半年の入院の後元気になりました。無菌室での治療も最初は不安でいっぱいでしたが、結果は『案ずるより生むが易し』でした。
 辛い治療もあったけれど良い事もいっぱいありました。何より、患者が医師を信頼した時はその治癒率は抜群に高くなるのではないかと思うのです。勿論医学的な条件も必要ですが医師の言葉に一喜一憂してしまう患者にとっていつでも、親身に話を聞いて下さる先生の存在がどれほど患者の治ろうとする気力を引き出してくれるか否めない事実だと思います。

 私にはもう将来はないと悲観した日から5年、私は勇気を出して、セカンドオピニオンを行い、今、元気に暮しています。そして、「あの頃移植した人たちの中で最も高リスクの貴方が一番元気でいるなんて移植ってやってみないと分からないもんですねえ」との主治医の言葉が私の自慢です。「移植する、しない」どちらの治療を選んでも自分の治ろうと言う気持ちが大事です。気持ちで病気に負けてしまってはなんにもなりません。「セカンドオピニオン」医師にとっては迷惑な話かも知れませんが患者にとって必要な事です。それによって自分自身の将来が決まるのですから

 後20年は生きたい私は数々の試練を乗り越えて今、家族でテニスを楽しみ、旅行を楽しみ、ごく普通の日常生活に幸せを感じているこの頃です。


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