前へトップページへ戻る次へ


個室での不思議な体験

加 古 弥裕貴(愛知・CML・姉から移植)

 平成5年5月某日。CMLのため移植を控え、個室に入っていた夜のこと。重苦しさに目覚めた私は、人型をした霧のようなものが覆い被さって来るのに気づきました。足元から徐々になんとも不快な重さを感じ、怖くなり、叫ぼうとしても声が出ません。指一本動かせません。とうとう顔に被さって来る!という時、渾身の力で首を振った所、スーッと軽くなり動けるようになりました。その後は、明かりをつけたものの、怖くて寝付けませんでした。後日、看護婦さんから、この部屋は重症患者の入る部屋だと聞かされました。…………?!

 もうひとつ、これは夢での出来事。何かに追いかけられ、必死に逃げる私。どこからか馬が現れ、私を背に乗せてくれたかと思うと、その背に羽根が生え、空に飛び立ちました。この夢を見たとき「私は助かる」と思いました。ひとつ残念な事に、この馬には、王子様は乗っていませんでした!?

 辛く、泣いてばかりの日々もありましたが移植できない患者さんの頑張りを見て、甘えている自分を恥ずかしく思いました。
 血液内科からの投薬は、約3年半で無くなりましたが、ある症状で皮膚科に通い、プレドニンが止められず、骨粗しょう症に拍車をかけているのが辛いです。
 平成12331日、北海道、有珠山噴火のニュースを病室のテレビで見て(聞いて)いました。白内障の手術を受けたのです。色彩が久しぶりに戻り『感動』です。散歩の折、空の青さが素敵でした。視界はまだまだピンボケです。

 思えば移植日の366日前には、仕事でのストレスで、胃がとうとう爆発。大量下血し緊急手術により、十二指腸を含め、胃を三分の二切除するというハプニングも乗り越えました。
 その後体力が落ち、道をまっすぐに歩くことが出来なかった頃、知人からアメリカ大手の会社の栄養補給食品を勧められ、試したところ、みるみる元気になりました。
 能天気な私は、病気がわかった時でも「私死ぬのかな?ま、それも仕方がないか」程度にしか思っていませんでした。しかし、移植の話が進むにつれ、段々怖くなり、この期に及んであがきだし、ある血液疾患の方が、この食品で体調を維持していると聞き、当時疲れやすい程度しか自覚症状のなかった私は、移植はせず、栄養食品で治す!と、医師、家族を困らせたこともありました。

 移植の際に必要となる血小板の一部は、勤務する会社の人たちが協力してくれました。「必ず元気になって会社に復帰するように」と社長の言葉に送られ、1年半休職後、復職しました。フェニックスクラブの交流会で時折、解雇されたという話を耳にし、改めて自分の立場に感謝していました。ところが、そんな私も11年暮れに勤務する職場の業績不振のため、リストラされてしまいました。パート社員としてなら勤務可能ということだったので、完全解雇でなかっただけでも良しとするしかないかと、やむなく了承しました。勤続20年目のことです。同じ職場でのリストラは私一人。他の職場でもやはり病気を抱えている人たちに何らかの処置があったようです。病院へは有休を利用して行っていましたが、リストラの人選には病気は都合のよい理由になったようです。

 平成12年5月27日。姉からプレゼントされたもうひとつの誕生日で、7歳になります。またこの春、改めて見えるようになった目とともに、これからも続く様々な障害とも、仲良く付き合って行くことにします。
 病気になる前から、何かボランティアをしたいと思っていて行動できないでいましたが、病気をきっかけに骨髄バンクのボランティアに参加するようになり、また、フェニックスクラブに入会し、同じ苦しみ、喜びを分かち合える人たちと知り合えたことが、今では何よりの収穫となっています。
 辛いこと、哀しいこと、これからもまだまだあるでしょう。不安がないわけではありません。
 でも、私はこう思うようにしています。ケセラセラ!!。


 この体験記を書いた方と直接お話したい方、お問い合わせは、フェニックスクラブ事務局 まで。