治療費や生活のこと

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突然こんな病気になって、お金の事どころではない!でもすぐに「現実」が迫ってきます。 「どうしよう」と悩む方のためにアドバイス。



私の闘病生活

A.A(東京)_慢性骨髄性白血病・移植

発病は40歳の時、次男がまだ小学2年生の時でした。移植は平成2年2月1日に、退院は移植から67日目の4月8日です。 そも日にすぐスーパーで買い物をして夕食も自分で作りました。病飲食に飽きていましたので。

東邦医大でブスルファンという薬を飲んだところ副作用がひどく出まして、粘膜が非常に弱いことが分かりました。 東邦医大では治療法がブスルファンしかないと言われ、慶応病院へ移り、O先生がシアトルの病院へ問い合わせて下さいましたが、 粘膜の弱い人はアメリカ人にはいないので、分からないと言われたそうです。 日本人はアメリカ人に比べると胃の壁も弱いそうです。

粘膜が弱いので移植の対象者から外されていましたが、白金の北里病院で免疫疾患が専門という先生に 診察していただき、漢方薬で内臓を強くして粘膜も強くなり、口内炎なども全くできずに移植ができました。 歯ブラシも最後までふつうの硬さのものを使えました。無菌室に入る4日前まで夜8時になると新棟から一番端の 古い病棟の給湯室まで行って漢方薬を煎じて飲んでいました。10年間ひどい主婦発疹も飲みはじめて2ヶ月目の無菌室に入るころには きれいに治っていました。

無菌室では毎日入院記録をつけたりカラオケをうたったり、軽いダンスをしたり、 夜中までテレビを見たり、耳が痛くなるほど長電話をしたり、とても元気でしたので Drに「もう少し病人らしくしくしてくれないと僕たち張り合いが出ない」と言われるほどで、 21日目に一般病棟に移りました。免疫抑制剤も5ヶ月半でのみ終えたらすぐGVHDでプレドニン服用、 そのため帯状疱疹になり、神経痛が残ってしまいました。移植して来年の2月1日で丸6年になりますが、 今も痛みを押さえるため漢方薬を飲んでいます。

コツコツとゆっくりですが、自分と同じように一人でも多く元気になるためにお役に立てればと思います。また私の移植にたずさわった 10人の先生方のためにも慶応病院で最初の移植成功者なので。これからの患者さんの手本になるよういつまでも 元気に生きて行こうと思います。


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