移植を受けていない人はお答えください

治療の方法と経過、現在の状況、治療による副作用は?

(AML/急性骨髄性白血病)
H6/9発病 −/12化学治療
H7/4・5・11化学治療
H8/1・3・5・7・9化学治療 →/11再発入院 →/12化学治療・バンク登録
H9/4より免疫療法も追加・現在ドナーなく見つかるまで4周ごとに治療予定。
 脱毛、湿疹、口内炎、色素沈着、爪の変色、むくみ、吐き気、食欲不振、胃腸障害、
生理が止まる、じんましん、貧血、体力低下、血管痛、血管固結、倦怠感
(本態性血小板欠症)
 以前ハイドレアとブスルファンを飲んでいました。
ハイドレアは合わず、すぐ元の数値に戻るのでブスルファンのみで治療しました。
血小板が正常になったので中断し、現在は何もしていません。
1−3ヵ月に一度通院で数値を検査しています。
 ブスルファンのみにして3ヵ月目ぐらいで生理が止まり、婦人科で治療を始めました。
ホルモンが止まっているらしく、治療せねば一生止まったままだそうです。
(悪性リンパ種)
 抗ガン剤治療のCHOP療法。4種類の抗ガン剤を3週間おきに8回点滴。
現在は最後の点滴から半年以上経ったので元気になりましたが、疲れやすいです。
 脱毛、吐き気、便秘、生理不順(今は正常)
(AML)
 抗ガン剤による化学療法により、第一寛解になり1年半位持ちましたが再発。
また化学療法を行い第二寛解に持ち込みました。
その後は治療も投薬もせず5年目でほぼ治癒したと主治医からお墨付きをも
らい、現在7年目に入っています。
 輸血によりC型肝炎になりましたが、早期にインターフェロンによる治療を受け、
また骨髄移植を受ける時にC型肝炎があるのは危険だからということで、
普通ならばやらないところを更にもう一回インターフェロンの治療を受けました。
そのおかげで今はウイルスも消え肝炎も治ったようです。
(AML)
 発病11カ月目ですが寛解導入・維持・地固め療法で5クールの化学療法終了。
残り3回を1年間で行う予定。発病しなければ終了予定です。
 歯痛(治療中)・IVHを入れるのに2度気胸になった。
・カテーテル感染2回・吐き気ムーンフェイス
(骨髄不全)
 平成6年5月一平成9年2月、化学療法を受ける。
入退院を繰り返す。現在定期的に外来にて血液検査。
疲れやすく不調。
 脱毛。体の節々の痛み。疲労感。内臓の不調(特に胃、婦人科系)
(AML)
 投薬と2週間×3回の化学療法。年に2回の検診(血液検査を含む)
 抜け毛と吐き気。
(ALL/急性リンパ性白血病)
 昨年10月16日から入院して今まで約4回位の治療を受けました。
あと1回治療して、7月の初旬頃骨髄移植をする予定です。
 副作用は一般的に言われている事は殆どありました。
食欲不振・吐き気・匂いに敏感・鬱病などいろいろでした。
(MDS)
 入院してプレドニンのパルス療法。
 アナドロールによる副作用。
(CML/慢性骨髄性白血病)
 インターフェロンを注射しながら、移植に向けて準備していたが(弟がドナー)
移植直前の検査でインターフェロンがとても効いていることがわかり、
移植が延期されました。現在発病から2年目を迎えますが今のところはインターフェロンで様子を見ま
しょうと言われています。
 最初の半年くらいは脱毛や発疹に悩まされましたが、現在は何もありません。
(CML)
 毎日ハイドレアを2錠3錠と交互に服用している。2週間に1度通院。
大体5,600−9,000を保っているが、時々10,000を超えることもあり、
今回の旅行のあとは又上がってしまった。 
小さなリンパが2個首にあり、いつもその大きさもチェックしている。
普通の生活をしている。
 副作用は全然なし。
(AML)
地固め、強化、維持、を1992/11−1995/7の期間に受けました。
経過は順調に回復しております。現在もこれといった変化はなく、
大変良好な状態で暮らしております。ただしペスタチンを服用中です。
 食べる事に執着したせいか副作用か判りませんが、体重が増えました。
年齢のせいかもしれませんが副作用のせいにしたいのかもしれません。
基本的にはないと思います。
(CML)
97/1/27〜3/21ハイドレア投与
97/3/22−  イントロン注射
イントロン注射で2〜3日発熱あり。
(AML)
 平成7年5月発症。多剤併用化学療法実施し、完全寛解を得る。
今回最後である3回目の強化療法を済ませ、寛解のまま自宅療養中。
(AML)
 4日間の入院中化学療法、その後退院し6カ月間化学療法を実施。
現在寛解続行中で月1回血液検査の為通院中。
 脱毛、吐き気、嘔吐。しかし外来治療時は副作用なし。
(突発性血小板減少性紫斑病)
 投薬(セファランチン1日30mg)。ステロイドでは血小板数を2万−3万しか維持できなくなったの
で、セプアランチンに変わりました。今は6万−8万位で安定している。
 胃の調子が悪い時があるくらい(胃薬飲んだら大丈夫)
(CML)
 診断直後はスミフェロン300を毎日注射、ハイドレアを服用していたが、
白血球数が安定してきたのと血小板の減少とで薬療を調整し、
現在はスミフェロンの2日に1回注射とハイドレアを1日1錠服用している。
通院は2週間に1度、血球数の変動を中心に検査。
先日入院以来久々にマルクを行ったがフィラデルフィア染色体が30%程度に減少しており
少しよい傾向であるとのことであった。
 入院、診断後すぐに始まった注射で夜になると発熱することが数日続いた
他は副作用らしい副作用はない。
ここのところ体重が微像傾向にあるのは副作用なのか、
食べ過ぎなのか理解に苦しんでいるところではある。
(CML)
 ハイドレアのみ服用、末梢血で見る限り安定している様だ。
日本人に多い型と言われながら幾人かのドナー候補はいたもののうまくいかず、
ついにアメリカ・台湾のバンクの予備検策をかけた。その結果、
アメリカの方はA、B座の一致するドナーが180人。
台湾はDR座まで一致するドナーが1名いたようなのだが、
台湾の方は試験検索段階でまだ方向性に不安があるみたいで、
医師はアメリカのバンクへの本検索を進める。どうしたらよいのか悩んでいる。
 薬による副作用はないが、待っている時間が長いだけに精神的ストレスが溜まり、
1年半位前から眠剤なしでは眠れない。生理も止まってしまって、汗がすごく出る。
自律神経の問題らしい。
(CML)
 インターフェロンがよく効き、染色体異常は消えています。
現在週2回インターフェロン300万単位注射。
ハイドレア3日に5個。MTX過2回。これに尿酸値を下げる薬を使用し、
検査は月2回。通院、医師との面会は月1回。
 赤血球、血小板などが通常の半分。「貧血」状態なので、
急に体を動かすスポーツなどは困難。最近は末梢の血管循環が意く、
足の指先などに傷ができなかなか治らないので、
その薬を服用していますがそのせいで血圧が低下。
(CML)
 病気そのものの自覚症状は、発病から今日に至るまで(約1年半)全くなし。
発病からハイドレア治療を継続中。おかげで血液は安定値を保っている。
白血球数も3,000−5,000で安定。最近胃の調子がよくない。
 インターフェロンの副作用。H8/2月−6月自己注射した。
しかし鬱病が出て中止。以降はハイドレアのみの治療。
PH、染色体陽性率は初診時100%、IFN中止時41%に減少。
以降、授与していないのに今年の1月の検査で11.5%にさらに減少していた。
これは不思議なことで医師も驚いていた。
(ALL)
 3カ月に一度の維持療法で生活は普通だが仕事ができない。
 肝臓、熟、吐き気。
(骨髄性貧血)
 再発の為2度目の化学療法。その後移植の可能性もあると言われたが、
それだけは避けたいのでその気持ちで現在入院治療中。
 せっかく伸ばして来た髪が治療の為にまた抜けると思われ、残念です。
(AML)
 発病時97%のガン細胞で大変状態の悪いケースでした。
化学療法と移植の両面から考えられていましたが、
1回目の治療で寛解に入ったこととM2であることから化学療法を3年することに決定。
現在2年が済んであと1年の予定。
化学療法は半年ごとに抗ガン剤投与(1カ月半〜2カ月の入院が必要)。
再発時は未定。
 吐き気、悪心、発疹、抜け毛、下痢、発熱、頭痛、血小板減少、赤血球減少等
(CML)
 インターフェロンの注射をしたがだめだった。現在ハイドレアを毎日1個飲んでいる。
3月にドナーが見つかったが4カ月待って欲しいという返事で結果を待っている所です。
 インターフェロンで激しい下痢が続き痩せこけてしまった。
(CML)
 H8/1 告知、フィラデルフィア染色体95%
  /3 人院、インターフェロン600万単位日投与。その後2日に1回になる。
  /4 職場復帰、インターフェロン投与過2回になる。
  /6 インターフェロン週1回になる。 
  /12 マルク実施フィラデルフィア染色体の比率が6%に減少。
 H9/1 インターフェロン300万単位過1回になる。
  /4 甲状腺こう進性併発。
  /現在 インターフェロン300万単位過1回
    自己注射。甲状腺分泌を抑える薬(メルカゾール)
(非ホジキンリンパ腫)
 化学療法と末梢血幹細胞移植の治療を受け、現在経口抗ガン剤ベラゾリンを服用。
 抗ガン剤ベラゾリンによる倦怠感、口内炎、感染症等。幹細胞移植による肝障害、
心臓障害等がある。
(AML)
 抗ガン剤治療後、無菌室に入って白血球が上がるのを待つ治療を3回、
うち1回目と2回目は自力で白血球を上げる。3回目は薬を使って白血球を上げる。
 吐き気、食事ができない。体中の毛が抜けた。
1回目の治療で37〜38℃の熱が出た。
(AML)
 抗ガン剤治療。第2クールで完全寛解。現在第5クール。
この治療終了後退院し、末梢血幹細胞移植を予定。
 吐き気、脱毛、歯肉炎、倦怠感。口内炎はできなかった。
(ALL)
 化学療法。寛解継続中→ほぼ正常値。治療は12月で終わり、
今年からは月1回のマルクのみ。
髪はH7年7月にすべて抜けたが数カ月で再生(特に問題とは思わないが)。
今年になって肝機能のGOT/GPTがやや高い。
吹き出物が増えた。落ちた体力が最近戻りつつあるが免疫力が落ちた。
最近マルクの出が悪く少量しかサンプリングできない。
薬により骨髄の繊維質が増加したためらしい。
(骨髄異形成症候群)
 治療法はまだない、と言われている。私の場合、毎月の生理の出血後輸血を繰り返していたので、
去年の夏から生理を止める薬を使っている。
もう10カ月になるが、赤血球と血色素が少しずつ増えて来ている。
血小板は相変わらず少なく、8000位。
(ALL)
 入院3カ月。化学療法のみで寛解になる。それから5年間MTXを週1回25W、
他にロイケリンを服用。現在月1回の血液検査のみ。WBCは今4,000−6,000です。
MTX中WWBCが500まで低下。中止することにより2000まで戻る。
風邪は年中行事(年3−4回)でへルペスなど。

移植を受けた方はお答えください
 
◆移植までの経過と悩み、 主なGVHDと経過

(ALL・バンク)
  H5/6発病→H5/9バンクへ登録→H6/秋 移植
 移植をすれば100%治ると思っていたが、
再発もあると知って本当に元気になるのだろうかと不安になった。
GVHDは今のところなし。
(APL/バンク)
H5/1 発病
H7/4 再発
H7/6 バンクに患者登録(すぐに3人の候補が見つかり、最終三次パスは2人)
H7/12 国立がんセンターに転院。
H8/冬 骨髄移植
H8/5 退院
GVHD 口の中 ・・・・・辛い物は刺激となり一切受け付けない。
皮膚……‥軽く症状あり。
涙…………やや出にくい。
(ALL/血縁)
 自分が苦しんで死んでいくのかもしれない。兄(ドナー)に何かおこるのではないか。
 GVHDは顔にふけのようなものが出て、ガサガサしている。
(AML/血縁)
 92年4月に骨髄性貧血と診断されて入院。6回の化学療法をした後、
弟から骨髄を貰って移植しました。
移植さえすれば元気になると言われていたので、悩みなどなかったと思います。
 GVHD.皮膚のかさつき(ローション等で良くなる)。
肺線維症(気管支拡張剤でとりあえず良好)。
他に皮膚のしみ、黒ずみ、生理がない、性生活の苦痛、
更年期障害などもあるが今のところ治療はしていない。
CML/血縁)
 最初インターフェロンを6カ月くらい自己注射。その後コントロールが効かなくなり、
はじめて移植の話がありました。(この時点で告知を受ける)
幸運にも妹から移植を受ける事ができると判りましたが、
かかりつけの病院では私が2番目の移植例ということで設備やスタッフの充実を約2年待ちましたが、
結局主治医の紹介でT病院で移植を受けました。待っている間、
いつ急性転化するか毎日が不安で針のむしろ状態でした。
 移植をしてからそれほど気になるGVHDは出ていませんが、
今軽い慢性の肝臓病があり主治医の先生はこれくらいのGVHDがある方が再発の恐れが少ない
ということで、あまり心配はしていません。
(骨髄異形成症候群/バンク)
 移植を受けるまで数年かかりましたが、いろいろな力が作用して全部がそろった時に受けられるものだと
実感しました。早く移植を受けて元気になりたいと患っていたので決まった時には大変うれしかったで
す。
 おもなGVHDは口腔の水疱とドライアイです。
(CML/血縁)
 私の場合兄とHLAがほぼ一致したことですんなり移植に踏み切りました。
それまで6カ月はとインターフェロンとハイドレアで治療していました。
私自身移植の成功を信じていましたが、医師や家族の方が成功するかどうかものすごく心配していたようです。
 今のところ口の渇きと首や顔にでる湿疹です。
(ALL/血縁)
 まずは化学療法。兄とHLAが合ったことと病気に染色体異常があり、
再発しやすい(してしまった)ことがあり移植を勧められる。
自分は怖さ、出産のことが気になり、ずっと悩みフェニックスクラブを通し移植体験者の話を聞き、
移植を決意しました。
 急性GVHDは皮膚。慢性としては皮膚、肺に影、口の中、肝臓等に症状が出ている。
徐々によくなっている。
(CML/バンク)
 急性GVHDが顔、手のひら、足の裏が痛くなり、痛みが消えると皮がむけた(グレード4)。
現在肝減、腎臓にGVHD。ATG薬を使用したが効果なく、むしろ使用してから黄症が治らず体力もかなり低下してしまい最悪の状態です。
他に下痢、唾液が出ない等。
黄痘ビリルビンの値は40上限まで上がったままさがらない。
皮膚はステロイド剤でよくなったが1カ月弱もかかった。
(CML/血縁)
 強い前処置により、生殖機能がなくなる事。
髪の毛は元通りになるだろうかという不安。
骨髄移植は成功するだろうかという不安(合併症を含めて)等。
 GVHDは全く出ていない。しかし移植後16カ月目に提供者よりリンパ球輸血を受け、
その後半年位たってから慢性GVHDが出て来た。
現在の症状はドライアイ。口腔内病変はステロイドのうがい薬が奏効し治った。
悩んだと思うが覚えていないので大した事ではないと思う。
GVHDが腸に出たのでよくおなかが下っていた。(6歳で発病)
(CML/血縁)
 ドナーが見つかってから告知されたので苦しんだ期間は短いが、
全てを一度に考えなければならなかったのがハードだった。
発病してから2年経っていたので移植日が決まるまで、急性転化しないか不安だった。
移植するかどうかも迷ったがドナーが見つかったというチャンスを無駄にはできないと思い、決心した。
 GVHDは特になし。移植時にかなりGVHDが出るかもしれないとのことから、
それを抑える薬を多めに授与した為と考えられます。
(CML/バンク)
 寛解状態ではないということを、移植のため転姿完してきて初めて知ったのですごく不安になった。
よい状態ではないのに移植がうまくいくのかすごく不安で、無菌室に入るまで心配だった。
転院して慣れないというのも不安の材料だったようだ。
無菌室では看護婦さんが部屋に来てくれる回数も時間も多く、
話し相手になってくれたことでいろんな心配、不安はなくなってきたみたい。
GVHDは特になく、軽い下痢と発熱程度。
(ALL/パンク)
 移植日の15日前に突然ドナーが病気になりキャンセルされたこと。
 現在移植の治療中。手足が赤くなり皮がむける。出血性勝胱炎。
(CML/ハンク海外)
 当初より骨髄移植を希望していたがドナーが全く見つからなかったこと。
 発疹、かゆみ、下痢等。現在も続いている。
(CML/血縁)
 年齢的にぎりぎりの年。インターフェロンを過2〜3回うったびに、
これがずっと続くのかと患うと移植は怖いが結論を出ささるを得なかった。
移植までは良好だった。また漢方を服用したのが移植後も大過ないのかと心配している。
 ヘルペス?仕事に戻ってすぐにかかったが軽く済んだ。
移植後1年目で胸に影が認められ検査しても経過注意にとどまり、現在も少し影がある。
(AML/バンク)
 再発してから移植をするかとうか決めたのですが、自分で決めなくてはならないことで本当に悩みました。
今での治療か、移植か50/50で。移植には決めましたが、失敗したらすぐに死んでしまう。
それが何といっても一番の悩みでした。
 下痢、皮膚への症状(急性GVHD)。皮膚のかゆみ、日のかゆふ、日の荒れ(刺激物がしみる)
(ALL/血縁)
 私の場合、急性リンパ+フィラデルフィア染色体異常(+)の為、
第一寛解の時に早急に移植するのがベストとのことで、
約6カ月の化学療法の後移植を行った。
もしドナー(母)が一致しなければ待てないとのことで、
自家移植をすると言われていたそうです。
事の重大さを知らなかった私は、せっかくトナーがいたのに移植するべきかどうかで悩んでしまっていた。
生着するまで1カ月以上かかり、2回日の準備(母の採血)をしたとたんに生着した。
ウイルス性出血性膀胱炎→腎不全→人口尿道の手術直前によくなる。
網膜症、眼底出血、腎性網膜症。
耳が聞こえなくなる→鼓膜にチューブを通す。
ドライアイ、口内の乾燥、汗が出ない。
高血圧、肺炎、慢性気管支炎。
(再生不良性貧血/バンク)
 2月21日退院が決まっていたのに、19日にけいれんが起きて21日間眠っていて(気管に管を入れる)
今現在、心臓とお腹に水がたまっておりどうしてこうなるかわからない状態です。
べットから起き上がることもできません。
(CML/血縁)
1996/3/6 会社の健康診断で発病がわかる。
    6/27 移植
    11/13〜1/19 GVHD
 急性GVHDは出なかったが退院後、慢性で悩んでいる。
(CML/血縁)
 病気がわかって半年後に姉のHLAを検査、合致。
移植する物と決めていたので特に悩みはなし。
 口内の痛み、こわばりがあったがいまは改善された。
肝機能の数値が高く、慢性GVHDの疑い、経過を見ている。
(成人ALL/バンク)
 94年3月に自家骨髄移植後、96年2月に再発し他の治療で治癒は望めず、
全身状態も移植に耐えうるということで、即決に近かったため自己意思で決めたと
いう意識が少なく、前向きになるのが難しかった。
2度目の移植に伴うリスクを引き受ける覚悟もできていなかったし、
“可能性に賭けよう!”というより諦めてしまった方がラクなんじゃないがというのが本音だった。
 移植直後(生着後)全身に皮膚疹が出ましたが、痺みや痛みはなく2週間程度で治りました。
今のところGVHDらしい症状は殆どありません。
ただ、免疫抑制剤を減らすに従って症状が出てくるという話を聞いているので今後は少し心配です。
(CML/バンク)
 H3/12発病。不安なく入院。インターフェロン2カ月投与後退院。
病名を知って先が見えなくなった。大谷さんと会って不安がなくなった。
移植後1カ月で手に少し湿疹が出てすぐにおさまる。
半年後に全身に痺みを覚え、体のいたる所に色素沈着がおきた。
今は治まっている。そして1年後にトライアイとなり、現在も症状がひどく悩んでいる。
(MDS/バンク)
 92年8月入院。トナー待ちの間7カ月間化学療法を受け寛解導入。
一時退院。93年9月末二次検査を受けて10月末に決定。
11月初に入院。冬移植。2月退院。
寛解中の移植だったので、どうしても移植に踏み切らなければならないか、迷った。
 軽い肝機能障害→1年で正常。鼻と口の周囲が黒ずんだが薬の副作用かGVHDか不明、
数カ月で治った。
(CML/血縁)
 GVHDで入院、退院の繰り返し。でもドライアイもなく今の所いいペースです。
しかし悩みは書き切れません。
 肝機能障害、間質性肺炎2回。H9年5月調子いいです。
(CML/血縁)
 移植後3年目に不妊の事実を知り,自暴自棄になった。
「生きている意味さえない」とまで患いつめた。
(再生不良性貧血/血縁)
1986年に発病して以来薬での治療(飲み薬、注射、点滴など)が開始され、
入退院を繰り返すが、さまざまな薬を試したにもかかわらず、
なかなか有効な薬は見つからなかった。
輸血をするようになり、量もどんどん増えていき重症となる。
悩んだことは薬の副作用(男性化作用)、不妊の事、将来のこと。
 関節痛や皮膚が少し赤くなったりしましたが、今は何ともありません。
(MDS/血縁)
 2度目に本当にうまくいくのか不安だった。ドライアイ。
(CML/血縁)
 H8年3月じんましんが出て血液検査、マルクで白血病と診断され、5月に告知、同時に家族の血液検査。
幸い妹とHLAが一致し、9月12日移植。
殆ど拒絶反応もなく今日に至る。ドナーが決まる前に告知され、
このまま放置しておくと1〜22年の命と宣告された。
ドナーが決まるまでの10日間は非常に辛い毎日でした。
せめてドナーが決まってから告知して欲しかったと思います。
(ALL/バンク)
  平成3年1月 発病。点滴治療。
      7月 寛解、退院。
      8月 再発、入院。
   平成4年 冬 移植。
      5月 退院。
      10月 肝臓で入院。
 現在までに3回入退院を繰り返しています。肝臓は何とかなりましたが、今度は腎臓です。
 タンパク質30g/日の食事制限を受けています。
(悪性リンパ腫/血縁)
 約6カ月の治療が順調に進み、移植も成功すると安易に思った自分が、後で考えると恐ろしかった。
(CML/バンク)
 入院中、皮膚に少し発疹(両足、肩等)パルス療法にて消失。
プレドニン内服2カ月。
 退院直後、帯状痛疹。現在は特になし。移植後25日目位に胸水がたまり、約3リットル抜きました。
(CMLL/血縁)
 うまく成功するかどうか不安。
 97年頃から甲状腺が悪くなり、脈が高い、膝がガクガクする、手が賓える、
疲れやすい体中つりやすい等の症状がある。
 今では薬の為だんだんよくなってきています。でも毎日つりやすく困っております。
(悪性リンパ腫/バンク)
発病後6ヵ月の化学療法→自宅療養(4カ月位)→入院 移植。
移植をした方が本当によいのかどうか。またそれにまつわる怖さ。
肝臓にGVHD。移植後すぐに悪くなって3カ月入院後、GPT、GOT等の数値が全て正常値より少し高めで退院。
半年後、自己免疫肝炎ということでまた悪くなる。
プレドニン使用で少しずつよくなるが副作用で骨粗繋症となり背骨の圧迫骨折で現在整形に入院中。
(AML/血縁)
 高校在学中だったので、入院治療すると卒業できないと分かりとても悔しかった。
急性転化してから風邪をひきやすくなり、おできがたくさんできた。
髄膜炎にかかった時は移植をする前に死ぬかと患った。
 まず最初にヘルペスにかかり次に皮膚に異常が出て、その後に三叉神経痛が出ました。
この痛みはひどく何日も悩まされました。その後口内炎、ドライアイ、鼻の粘膜が弱くなる、
耳垢栓塞などの症状が出ました。現在も口内炎以外治療中です。
(CML/バンク)
 ボランティア活動をしていたので、マスコミがうるさくて辛かった。
こちらは自分の生死を見つめなければならない時にボランティアをしているから移植は当然、
という感じでしたが主人は大反対、私も怖かった。
 B型肝炎の為、移植後再入院、現在は良好。
(ALL/ハンク)
 私の場合、告知を受けたのがすでにバンクでドナーが見つかっている状態の時だったので精神的には他の
人よりも楽であったと思います。
 一時退院(まだ告知される前だったので、完全退院だと思っていた)の時、
原付の交通事故を起こして家族は気が気でなかったと思います。
こんな事になるのならもっと早く告知して、病気の重大さを言うべきだったと思っているはずですが
 ちなみに事故のケガでは出血はせず、肩の骨折だけだったので良かったのです。
 GVHDは移植後3年8カ月経っていますが、一度も出ていないと言われています。
(CML/バンク)
 発病後血縁での移植は無理と判り、ハンクからの連絡を待ちながら1年4カ月、
インターフェロンによる治療を行った。
 かかとのしびれ。
(再生不良性貧血/血縁)
 7年4月4日H医大に転院して告知を受け化学治療実施、
4/19移植決定、5/24移植。検査検査で毎日忙しく、
気がついたら準無菌室に入っていました。
無菌室は7月いっぱい予約がつまっており、待ってい
られないとのことで個室を簡単に無菌状態にしてクリーンヘッドを置いたものでしたが、
自由に動けず辛いものがありました。
何もかも目まぐるしく進んでいったのでかなりパニック状態で、
悩む暇もない?間に事がどんどん進んで行きました。
  細かいことはいろいろとありますが、内蔵は殆ど正常値で血液も検査データの最低値をクリアする程度で
時々ガクンと少なくなり、不安なこともありました。
白血球3000−3500、赤血球350万前後、血小板10万〜20万。
主治医には「少なめで固まった?みたいですね」と言われました。
GVHDに関してはデータ的には少し見られるが自覚症状としては今のところありません。
(ALL/バンク)
 95年7月より寛解導入療法開始(抗ガン剤)、地固め療法に続いて移植。
 口内炎が移植後9ヵ月より発症。シクロスポリン、プレドニンにより免疫抑制し、
軽くはなるものの刺激物は食べられない。
(悪性リンパ腫/血縁)
 移植前、子供ができなくなると聞いた時はショソクだった。
元気になった今、女性と素直に付き合えなくなったと思う。
理解してくれると言ってくれる人もいるが、
正直相手の将来のことを考えると、その気になれない。
 サンテユミンが効かなくなり、高熱を出すもプレドニンによって安定。
多少体に湿疹みたいなものが出来たがそれほどひどいことはなかった。
現在は全く何もない。
(AML/血縁)
 第1CR期で移植の為大学病院に移ったがHCVで肝VODのリスクが大きいと移植ができないと言われた。
リスクが大きいのは知っていたけれど第1CR期の移植を私は望んでいた。
結局してもらえなかった。
その1カ月後再発し、治療に入ったが第2CR期に2回目の治療で入る。
薬も効かなくなってようやく移植してもらった。地固めはしていない。
 ドライアイと口内炎がH9年1月頃から始まり、肝臓も悪くなり一時AST/ALTが300台になった。
ALP、γ−GTPも500台、800台。
今はトライアイと肝機能は治まりその代わりに皮疹がひどくなって身体がかゆい。
(CML/バンク)
 主治医の先生に移植を勧められるまでは「移植せずできるだけ長く生き延びてみせる」という気持ちと
「やはりだめなのかなあ」という気持ちの中で揺れ動いた。
ドナーの方が現れてからは移植の方に周りの状況がどんどん進んで行ったので移植に望みを託した。
 移植後37日目、急性GVHD(微熱が続き、全身の皮膚が黒ずんでしまった。)
移植後60日目、急性GVHDから慢性GVHDに移行。
皮膚がポロポロ剥がれていく状態が何日か続いた。退院するころには治っていた。
 移植後168日目に退院。退院後は特に大きなGVHDは起こっていない。
(CML/血縁)
 発病から移植まで1年かかりました。ドナーである妹が妊娠中でしたので、
出産まで待たなければなりませんでした。
それ以外は順調にいきましたが薬がきつくて吐き気で悩まされました。
仕事を辞めて家にいたので近くの温水プールで週に2〜3回2時間ほど泳いでいました。
 口内炎は少し楽ですが、ドライアイの方は日によってかなり差があり調子の良い時は車も運転できますが
悪い時は新聞すら読めず目を開けるのが少し辛いです。
(CML/血縁)
 インターフェロン(イントロン600)を注射。
 ドライアイ。肝機能の数値が悪くGVHDの疑いで再入院
(H9年1月−4月)肝生検の結果GVHDでないとのことで原因が判らずじまい。
現在も少し動き過ぎると数値が上がるため、あまり動かない様に指示を受けています。
(AML/血縁)
 あまりひどくはなかったと思います。
(AML/血縁)
 寛解するまでの治療で無菌室にいる時、移植している患者さんの声を聞いていて何となくこうなるであろうという想像が出来上がって、余計不安にかられた。
1994年4月未に退院。この時点では9月に移植予定だった。
5月はじめに外来治療を一度して(マスクをしていなかったせいか、口内炎がいっぱいできる)、
中旬頃主治医に電話で「延期する人がいるから6月に移植しないか」と言われる。
(この間のみ主治医変更)やっと外へ出て来たのにと思い悔しかったけど、
どっちにせよしなければならないこと、早くした方がよいこと、
できるだけありがたいという気持ちをもって移植に臨んだ。
(CML/血縁)
 入院中に出血性膀胱炎、聴覚異常、視野狭窄、口内炎、退院半年後からドライアイ、
唾液腺や口内粘膜の萎縮による口腔内の乾燥がひどくなる。
涙と唾液は現在も殆ど出ない。
口内については粘性の弱い唾液しか出ない為、
歯の治療や睡眠時など上を向いた状態が続くと乾燥がひどく、
舌が粘膜にくっついて離れないこともある。
粘膜は非常に薄く弱くなっており熱い食べ物やアルコール、カレーやわさび、唐辛子など香辛料や
ミント系歯磨き等は痛くてロに含めない。
さらに移植との因果関係は不明だが移植3年後に口内硬口蓋にガンが認められ入院。
放射線治療、硬口蓋右半分切除 手術、化学治療を受けた。
目も朝起きる時には必ず点眼をしてからでないと目が開けにくい。
無理に開けると角膜を傷つけ、何日かは痛みが残る。
また空調や季節による空気の乾燥、人の吸う煙草、
寝不足や人込みの攻やきつい日差しなどで常に充血したり、痛みがあったりする。
その他移植前にはなかったこととして深呼吸をしても肺が十分に膨らむ実感がない。
ちょっとした運動で胸が苦しくなる(心房細動と診断された)。
また皮疹が出やすく、すぐに治らない時は細胞を切り取って、GVHDによるものかどうか検査した。
腕の細胞を計3ヵ所切り取られた。
時にGVHD による湿疹が目に出ることもあるそうだ。
胃腸の機能も極端に低下した。私の場合は唾液が出ない(消化酵素の不足)こと、
右上半分が義歯のため咀嚼が不十分であること等で特に胃に負担がかかるが移植前処置での
抗ガン剤による胃のダメージ、腸内細菌の善玉菌も殆ど死滅させたことなどを患うと、
完全に移植前の状態に戻っているともまた戻れるとも到底思えない。
現実に移植7年を経た今でも、なまものや品質の劣化した物、熟成が過度に進んだ物には非常に敏感で
また一度消化吸収のバランスが狂うとなかなか元に戻らない。
 自己判断ではあるが、移植すると強い前処置を施した後非自己の血液が全身を循環する事になる為、
しばらくは拒絶反応としてはっきりとした症状がなくとも、
内蔵、筋肉、神経その他全身のバランスが崩れている様な気がする。
(私の場合)従ってあらゆる意味で不安定な時期があり、
次第に生物学的、医学的、生理的な安定へと移行していくのではないだろうか。
移植後九7年が過ぎていろんな症状を経験し、山あり谷ありを繰り返しながら次第に上向き、
悪いなりにも安定して来たように思う。
もちろん移植後も大した症状もなく、元通りあるいはそれ以上に元気になっている患者さんもおり、
個人差はあるだろうが今いろんなGVHDで悩んでいる人は過剰な薬に頼って焦って直うとせず、
2度目の生命を頂戴する為には通らなければならない道だと思って、徐々に自己の再生力、
生命力で良くなることを信じ、また自分から症状に慣れる努力も必要だと思う。
「治すよりまず慣れろ」だと思う。


 ◆現在の悩み、考えること

○白血病自体の再発の可能性がある。また40歳を迎え成人病、特に私は口腔ガンを一度経験しており、
  いわゆる固形ガンの発ガン性については普通の人よりも可能性が高いと思わざるを得ない。
  当然その場合の主治医は外科医になる可能性が高く、
  白血病やBMT、GVHDについての情報や知識は血液専門医よりも少なく、
  意識も低いと思われる。これは現在の医療事情では仕方のないことであり、
  その中でリスクを最小限にしようと思えば、患者が生きたカルテ、
  しゃべるカルテとなって各科を移動するしかない。
  さらに私は移植 後水癌瘡になったが結構症状が重かった。
  子供もおり今後もおたふくかぜ等にかかるかもしれない。
  移植前と移植後の免疫力、抗体について不明で不安が残る。

○やはり5年経過するまではあまり先の事を考えられない。

○一日一日充実した日を送りたい。

○現在は両親と同居し、経済的に支えられているが将来経済的に自立して生活していけるのだろうかと、不安になることがあります。

○薬を大量に長期間のんでいるので副作用が心配。

○病気になって悪いことばかりでなく、良いこともたくさんあります。
   @ 夫婦の絆が強くなったこと。
  A 友人の親切を実感できたこと。
   B 長男(21歳)がそれなりに成長したこと。
   C 義姉との関係が非常によくなったこと。等・・・・・

○私は社会復帰まで順調にいったのですが、そこから萎縮していきました。 私は実は看護婦です。
      次の様なことで悩んでいます。
      @ 病気に対するクチを誰に言って良いか判らず、言えずにいるとしんどくなってきた。
      A 見えない期待、同期の仕事ぶりを見てどんどんプレッシャーがかかったきた。
      B 患者に対する会話で相手の事を考えるほど何も言えなくなっていった。
     C 子供を産めなくなった今、自分は何なんだろうと考える様になり、
            子供を避けるようになったが職場が子供病院できついです。
           それでもって自信を失い看護婦と名乗れずにいます。
           こんなことではいけないと思い、視野を広げようと他の事をしていますが、
            何か満たされない自分がいます。

○今まで人に助けてもらってばかりいたので、今後は人の為になることをすすんでする様に心がけたい。

○外見が、髪の毛が生えにくいのと皮膚が荒れているので人の目が気になる。

    あとバイトの面接で現在も通院していると言うと間接的に断られる。

○悩みなんてたくさんありすぎ、考えない様にしている。
   まず結婚できないんだろうな。これから相手見つけるのは理解のある人でなければと思うし、
   他にはGVHDのある肝臓の事。
   大事に大事に付き合わなければならないと患うと、昔のような生活はできるのかとか、
   これから何年生きられるのかわからないけど、今は親が面倒見てくれているけど、
   これから先はどうなるのかとか  ありすぎてパニックしちゃいます。

○仕事のこと。在宅で仕事をしているがやはり元のような仕事につきたい、
   と思う反面体力に自信がなくて病歴を話すと断られた。

○不妊。何か妊娠しやすい方法や薬などあれば教えて欲しいです。

○移植後体力が非常に落ちたのですが、他の皆様も同じなのかな
   と思います。足の力が弱くなったことがやはり関係しているのかとうかわからないのですが

○あと見た目が健康なので、周りの人と同じことを要求されて、
   いちいち「いや実はこうこうこういう理由で足が悪くて・・・」とは説明しないから、
   つい無理しがちです。その気持ちが伝わらないことが一番幸いです。

○婦人科のホルモン治療をしないと子宮ガンになるとか、
   治療をすると子宮ガンになるとか聞いたので実際はどうなのか。

○一番の悩みは結婚できるかどうか。

○甲状腺が悪くなり機能障害が出て、完全に薬で治るのか。
  まだこんな事でしっかりした仕事につけるのか。そして再婚の問題、
   余計ハンディがあり縁遠くなってしまう。
   一生一人は辛い物です。

○身体を徐々に慣らしたいが少しづつだと地方では殆ど仕事がない。
   かえって保障されている。

○生活費に苦労。

○30歳を超えたころ、高齢出産の危険を考え始め、ようやく35歳になり子供を完全に諦めたら吹っ切れた。
   「お金も時間も自分の為に使える」と思うとうれしくなって来た。

○ドナーの方の愛によって再び生命と健康を取り戻す事ができました。
   二度目の人生を1人でも多くの人の為に行きゆきたいです。
   そしてバンクの活動にももっと参加して行きたい。

○移植後3年が過ぎたが再発の確率は7強い薬で体質が変わり、
   二次ガンの発生率はどの位なのか。

○再発二次ガンの心配。せっかく移植が成功したのだから、安心して生きて行きたい。

○生き残った私は何をしなければならないのかと悩んだ時期もあった。

○今は焦らずできることからコツコツと、という気持ちになりました。

○移植友達のことですが、血縁で骨髄を貰ったのにボランティアもしていないと
    親類の方に言われたそうで落ち込んでいました。
    感謝の言葉を表す事も大切なことですが、
   移植を受けた者の心のケアが全くない状態で生命が助かったのだからそれで十分だろうと思われる
  のもちょっと辛いなあと思います。移植を待っている方が聞かれるとなんて贅沢なと思われると思います。
  ごめんなさい。

○前進あるのみで体力の続く限り何にでも挑戦してゆきたい。

○いつまでこの健康が続くのかな−ということ。本当に白血病って完治するのかしら、という事。
   あと15年くらいは生きていたい。

○GVHDのこと、再発、出産のこと。

○移植の成功率は50%。二人に一人は死ぬとわかっていても、
   自分は大丈夫という思いで移植した。
   しかし今の状態はとても見通し明るい状態ではなく、とても辛く悲しい。
   死んじゃうのかなって思う。戻れるものなら移植前に戻りたい

○やはり骨髄移植後の不妊症です。いかに家族を形成するかと言う事です。

○再発の怖さ。まだ1年目なので。

○現在休職中。退職後の収入。障害年金申請中。

○日本のバンクに登録するがトナーが現れない。

○NMDPにドナー検索中。受益者負担のため300万円必要。
   移植実施の場合計900万円必要。

○結婚願望があったのでそれがもうだめかな・・・と思っている。

○私がこうして元気になれた意味を考えながら、
   充実した生命になるよういろいろなことにチャレンジしていこうと思う。
   出来ない事もあるけれど、出来る事は沢山あるので私なりに頑張ります。

○子供が生まれない事は告知されていましたが、やはりとうにかならないものかと考えています。

○変な話ですが私自身男でありながら、移植後は友人の話すいわゆる風俗の話題に興味がなくなり、
   もっと大事な事があるだろうと思ってしまいます。
   女性と接する時も年齢容姿を気にする事なくまずどんな考え方を持っているか、
   ということに関心がいきます。従って酒の席で盛り上がっていても一人だけ白けているようです。

○ドナーの方のこ好意で今存続している生命。
  何かの形で他の患者さんの為に役に立てられたら、
  と思っているのですがなかなかうまく働きかけられず、
  いつも何となく落ち着かない気持ちでいます。

○ドライアイがとても辛く、イライラします。
   目薬を1時間に数回さすくらいの対処しかなくこれがいつまで続くのか。

○将来のことはいつも不安です。今は病後(移植後半年なので)という
   エクスキューズがあるのでそれほどあせりはないのですが、
   先の事を考えるのは意図的に避ける様にしています。

○僕の年齢だと「結婚」について悩むのでしょうが、
   昔から「結婚はするまい」と思っていたので深く悩んだことはない。
   悩みの少ない人生を送っています。

○ドライアイ、脈拍数、息切れ。

○水が取れるかとても心配です。(バンクにより移植後8カ月経過し心臓とお腹に水が溜まっている)

○移植後丸5年になろうとしているのに、
   血液内科、腎臓内科、 呼吸器内科、婦人内科、眼科と忙しく外来に通っている。
  年だけただ取っていく様に不安を感じることがある。

○再発の心配が一番。それからガンになりやすいということ。
   軽いGVHDは今も出ていますが、今は調子もよく生活に特に規制はないので充実した生活です。

○自分のことだけで考えると再発のこと。

○難病を患うすべての人の感情の行き場。

○自分の将来への道。

○私の地元は小さな市なので病院が少なく血液内科などもちろんないので、
   ちょっと体調が悪かったり風邪気味の時など不安なので
  (昨年冬、ちょっと風邪かなあと思って簡単に考えていましたら肺炎で1カ月入院)
  遠くの大学病院までいかなければならず、不便を感じています。
   辺地医療の遅れをとても感じています。

○11年経ってもALLの病名は取れず完治でなく、完全寛解とは・・・医学の進歩を願っています。

○発病前からアトピーがあったが、ここ1年以前よりひどくなった。

○ホルモン療法の開始時期